【お悩み相談】そもそも執着できない場合はもう手放しているのでしょうか?
こんにちは、カウンセラー歴7年、カウンセリング人数
700人以上の問題を解決に導いた
夫婦心理学カウンセラーの椙山眞伍ヤタです。
今日は頂きました、ご質問に回答していこうと思います。
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KMさん
「先日はセミナーに参加させていただきありがとう
ございました。
その折に質問させていただいた内容ですが、うまく説明できなかったのでもう一度質問させてください。
私はどちらかというと、執着しないわけではないのですが、諦めがいい方かと思います。
ABCランチの質問でお聞きしたかったのが、私の場合AがダメならいつでもB,Cがあるし、と考えてAに腰を
据られません。
いつまで経っても決まらない、決められないため
安定感がなくいつも不安です。
また本当はAがいいけど、自分を主張しては行けないと
思ってAを諦める(諦めがいい)ということもあります。
この場合、Aに対しては執着はありませんが、いつも
自分が諦めるということに
悲しいような諦めのような気持ちが拭えません。
執着を手放すがテーマだったと思いますが、そもそも執着できない場合はもう手放しているのでしょうか?
しつこくてすみません。何かの折に取り上げていただけたら嬉しいです。
いつもヤタさんのセミナー、Youtubeを楽しみにしています。
ご相談ありがとうございます。
先日に開催しました「執着を手放す」の心理学講座の中で感じた疑問ですね。
執着を手放すことをテーマに参加したのに、何故か後から違うテーマや気づきがあった。
そのようなことが、心の世界での学びの中ではよくあります。
それは、そろそろ癒しの時期が来てますよーというサインだったり、
次に向かうテーマのような、ものだったりします。
※※
さて、
それでは、本題に移ろうと思います。
文章を読むに当たり、執着している?執着していない?
の問題のように見えて
実は違う問題が、そこにはあるように感じます。
その問題とは
「私が自分自身の本当の想いを諦める問題」です。
文章を読む中で、何回も出てくるワードがあるのは
ご存知でしょうか?
それは「諦め」という言葉です。
・諦めが良い方だ
・自分の想いを主張してはいけないと諦める
・いつめ自分が諦める
・諦めの気持ちが拭え無い
文章中に出てくるワードを、拾い上げましたがこの文章を見てどう思いますか?
私達が「諦め」を感じるときって、やはり自分自身の
本意じゃないと思うんですね。
「本当は〇〇したかった」
「本音では〇〇だった」など
どこかで自分自身を納得させたり、我慢したりしていると思います。
その結果、
「諦めた」ことにより、心の中に悲しみや淋しさや苦しみの感情が存在するんですね。
KMさんにとって
・私の本当に欲しいもの
・本当にやりたかった事
・言いたかったけど我慢したこと
・私の本音など
沢山の事を、自分自身で諦めてきた(諦めるしかなかった)と思います。
でも、
ここまでして自分のことを、犠牲にして諦めることって
何かしら理由があると思います。
カウンセリングの現場で多いケースは、
・私が我慢することで誰かの役に立ちたかった
・私が我慢することで誰かを笑顔にしたかった
・私が我慢することで誰かの喜びになりたかった
このようなケースが多いのですが、当てはまることは
あるでしょうか?
その誰かは一体誰でしょうか?
その相手がもしわかった時、その人を想い浮かべてこんな言葉を呟いてみて下さい。
「私はもう我慢することはできません。私はあなたのお役に立てましたか?お役に立てたなら、私らしく生きてもいいですか?」
KMさん、あなたはずっとその人のために我慢して
頑張ってきたんですよね。
でも、その我慢は残念ながら誰も幸せにはなりません。
犠牲の元には愛で繋がることはできないのです。
本当の愛で繋がるためにも、まずはKMさんから犠牲の
ステージを卒業してみて下さいね。
KMさんが犠牲を手放した時、愛をしっかりと
受け取れますから・・。
ということで、
今回はここまでです。
それでは。
※※
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