【野良猫男子のリアル恋愛ストーリー】~あなたは愛を信じられない男性の本当の気持ちを知っていますか?~

こんにちは、パートナーシップ(恋愛・夫婦)専門カウンセラーの椙山眞伍ヤタです。

このブログで私の黒歴史の連載しておりました、

「野良猫男子のリアル恋愛ストーリー」ですがもっと読みやすくして欲しい!

との要望がありましたので、こちらのページにまとめました。

野良猫のように人間からの愛情を信じず、愛されることを恐れる男性の内面と

離婚や、離婚裁判、不倫、婚約破棄などのリアルで起きた出来事を書いています。

文章力が無く読みにくいかも知れませんが、お楽しみ下さい。

※※

あなたは愛を信じられない男性の本当の
気持ちを知っていますか?

Contents

【野良猫男子のリアル恋愛ストーリー】

私ヤタの恋愛が上手くいかなかったリアルな話Vol 1

 

今日は、ロックマン&野良猫男子の気持ちについて、書いて行こうと思います。

知っている方も多いと思いますが、私ヤタは昔も?今もですが、野良猫男子でして・・。

かなり、改善はされたと思いますが、かなりの野良猫っぷりでした。

当時は仕方なかったのですが、ずっと恋愛も結婚も上手く行きませんでした。

どうして、こうなってしまうのか?

何が原因でこうなってしまうのか?と真剣に悩んでいましたが、現実はボロボロになっていきます。

今回は、当時を振り返りながら、自分の感情や心理を、書いて行こうと思います。

※※※※

そもそもなんですが、私ヤタは、生後1ヶ月で、産みの母親と父親が離婚をして、

何故か長男ということで、父親方に引き取られて母親の顔を見ずに

生きていくことになります。

まぁ、心理学的みればこの出来事が、やはり、大きく左右していると思います。

このことで、私ヤタはこんな想い(信念)を心に刻むんです。

それは「私は女性から見捨てられる」という前提です。

心に「見捨てられる」という前提があると、そのフィルターを通して物事をみて判断します。

相手が自分を構ってくれないとか、自分を優先してもらえないと

「自分は愛されていないし、ほら!!そうやって見捨てるんだ」と勝手に思い込んでしまいます。

幼少期は、叔母のところで過ごすことになりましたが、自分の父親の離婚の原因は

自分の浮気(本気)だったので、罪悪感から私には逢いにきてくれずに

ずっと1人ぼっちでした。

このことでも「自分はどこに行っても見捨てられる」

この思いがドンドン強化されていきました。

後に、父親は再婚するのですが、後妻の母親にも、私は心を開くことはせず

「絶対にいつか捨てられる。でも今、見捨てられたら生きていけないから言うことを聞いておかないと」

こんな気持ちで、自分の意見や想いなどは全て封印して、後妻の母の言う通り生きていました。

この生活が当たり前になると、いつしか、自分が心を抑えていること(抑圧といいます)も麻痺して、

これが当たり前なんだと勘違いをしていくんですね。

ですから、自分では意識していないのに、人の顔色や態度に何故かとても意識してしまったり、

相手から嫌われるということに神経が過敏になりすぎている方は、

1度チェックをしてみても良いかも知れません。

※※

淋しい気持ちを抱えながらも「淋しい」とは言えずに、人の顔色や意見や空気に過敏に反応し

「自分はいつか捨てられる」と思い込んで生きていく。

完全に他人軸で「自分が自分ではない」という人生でした。

この想いを持って、恋愛をするようになると、どうなるのか?

もう、わかりますよね。

上手くいく=幸せになるわけなんて無いんです。

だって、自分というものがないのですから。

自分自身に価値なんてあるとも思いませんし、愛されないこと、見捨てられること、

他人軸がベースで生きてきたのですから、当然です。

今更、自分を信じろとか自己価値がとか、そんなものは無理に決まっていますし、

まだ、学生の私にはそこまで深く考えることすら出来ませんでした。

こんな私でしたが、心の奥の深い深いところでは「女性に受け入れて欲しい」という想いがあり、

恋人を作ることには抵抗感がありませんでした。

その後お付き合いをすることになるのですが、ここからが地獄の始まりなんです。

※※

始めて彼女ができたのが15歳。そこから、恋人が切れたことは、ありません。

離婚後に婚約していた彼女と別れてから、今の奥様と出逢うまでの8ヶ月間だけです。

これは、モテるということではなくて、ずっとずっと母親(女性からの愛)を求めながらも、

また傷つくのが怖いために、向き合えないことを繰り返していただけでした。

自分のことを「愛される価値もなくて、どうせ見捨てられる」と思っているので、自分に自信なんて全くないです。

ですから、そんな自分とお付き合いをしてくれる人の愛情を、信じることが出来ないので

その愛情が本物なのかどうか?

本当に私を傷つけないのか?

愛情を受け入れてもっと傷つかないのか?

ということを、検証しないといけません。

では、どうやって検証するのか?

それは、彼女の嫌がることや、怒るようなこと、嫌がらせ。連絡を無視、デートに遅刻など・・・。

「ねえ、こんなことしても大丈夫なの?」

「こんなことしてもまだ、一緒にいてくれるの?」

「本当はこんなことしたら嫌いになるでしょ???」

「はい。どうせ居なくなるんでしょ??」

こうやって、彼女の愛情を試すのですね。

ちなみに、これは、研究者の方が言っていましたが「試す」という行動の前提は「破壊」とすることが目的であると言っていました。

つまり「試す」ことは「壊れる」ことにしかつながらず、絆を深めることにはならないのですね。

こんなことを、何年も何年もずっと続けて来ました。

※これを読んでいる方、もし、不快に思われたら、本当に申し訳ありません。

その結果、お付き合いする彼女はみんな、涙していました。

「どうして、こんな事をするの!!」
「あんたなんて、最低!!」
「もう、顔を見たくない!!」

こんな言葉を言い残して、去っていきましたが、その言葉を聞いて私は不思議と安心していました。

だって「ほらやっぱり、見捨てるんじゃないか」って。

でも、でも、やっぱり、悲しいんです。

彼女の事が、好きな気持があったから。

そして、その後に猛烈に自分を責めて、自己嫌悪をするんですね。

この辺りの、心のサイクルは、虐待をしてしまうお母さんやDVをする人と同じサイクルなんです。

自分の心が自分では制御できないくらいに、恐れやトラウマなどがあり、

猛烈なハートブレイクから自分の心を守るために行動してまう感じなんです。

ですが、決して、自分の事も虐待やDVなどは肯定出来るものではなく、

人の心を傷つける行為は、許されるべきではないと、私は思っています。

※※※※

元嫁の前に5年ほどお付き合いをしていた、彼女がいました。

その彼女は、お付き合いをしていた時は30歳くらいでしたので、

お互いの両親も2人は結婚するもんだと思っていたと思います。

その彼女は、他の彼女とは全く違いました。

何が違うか?

それは、どれだけ私が彼女の愛情を試そうと、嫌がらせや怒るような事をしても、

私の目の前からは立ち去ろうとは絶対にしませんでした。

世間の普通ならば、それほど、好きでいてくれることに対して、私も好きな気持があるので、嬉しいことですが、

自分の目の前から立ち去ろとしない彼女に対して、愛情よりも「恐怖」を感じていました。

ここで言う「恐怖」とは「本当に愛されたり、距離がもっと近くなって心を開いてから、

別れることになったら、立ち直れない!!」という思いでした。

心理学でいう「親密感の恐れ」というものです。

本当は好きだから一緒にいたい気持ちと、恐れから距離を取りたい気持ちが、彼女といる時にずっと葛藤していました。

そして、ある時に、遂に私は行動にでます。

とうとう「怖さ」の感情に負けて、私は彼女の前からは逃げ出しまして、音信不通にします。

当時は、まだ、LINEなんてものはなくて、かろうじて携帯電話でのショートメールが出来る時代でしたので、

連絡がとれるもの全てをブロックして、逃げ回わっていました。。

そして、逃げ回ってから1ヶ月の間、私は違う女性と連絡を取り合っていました。

その女性こそが元嫁です。

そして、彼女との関係性は宙ぶらりんのまま、元嫁とお付き合いをスタートするのです。

1ヶ月ほど元嫁と、お付き合いをしている時に、やはり彼女との居心地の良さだったり、楽な感じを思い出す訳です。

(書いていて、本当に身勝手極まりない奴だと思いますが、真実を書いていきます。)

それで、逃げ回っていたにも関わらず、自分から彼女に連絡をとるのですが、そこで、私が恐れていたことが起こります。

※※

彼女と電話口で話した時に、感覚的ですが、以前とは違うなーと感じていました。

「また、今度、逢おうよ。いつにする?」と以前と同じ口調で誘うと、予想外の返事が帰ってきます。

彼女「もう、貴方とは会えない」

ヤタ「えっ!!どうして?なんで?」

自分の言うことを、以前はほぼ100%聞いてくれていた彼女がまさか断るなんて・・。嫌な予感を感じていました。

彼女「貴方と連絡が取れなくなってから、会社の人に告白されたよ」

ヤタ「・・・・・。」

彼女「どうしようかな?って、本当に悩んで・・。でもこのままじゃいけないと私も思って、付き合うことにした。」

「貴方が悪いんだよ。どこかに行っちゃうから」

ヤタ「そんなのイヤだよ」

彼女「ごめんね。私、彼氏いるから」

そうやって、彼女から電話を切られてしまい、呆然と立ちすくんでいました。

冷静に考えると、こんな私と5年も一緒にいてくれるということは、

愛情も大きかったり、人として器も大きかったりと、魅力があるわけですから。

当然と言えば当然ですよね。

感情的には、物凄く悲しいんです。

どこかで彼女にも期待していたんです「彼女ならばどんな状況でも受け入れてくれる」って。

本当に都合が良いんですけどね。

この時は、自分の心で何が起きているのか?なんて知る由もありません。

何故か、女性は目の前から去っていき、幸せになれない現実だけが、残っていました。

この物語は、よくよく考えると、自作自演な訳ですから、何やってるの?ってことですが、

まだまだ気が付くわけもなく、次のステージの元嫁との結婚生活に入っていきます。

※※

「恐れ」で繋がった最強鉄仮面女子との結婚生活Vol 2

今回はその続編で「鉄壁ガードの鉄仮面女子」と結婚した「野良猫男子」の結婚生活が、

どのようにして破綻して行くのか?を書いていきます。

リアルな私の体験と、真実を書いていきますのでお見苦しい点があると思いますが、その辺りはご理解頂きまして、お読み下さいませ。

※※※※

幸せになることを恐れて、居心地の良い彼女から逃げ出した私は、

彼女から「彼氏いるから」の発言により、失恋をしてしまい行き場を無くしてしまいました。

そうなると、1人では生きることが出来ない私は、

二股のような形で付き合っていた女性(元嫁)と付き合うことになります。

この元嫁の最大の魅力の1つに「容姿端麗」というのがありました。

私は、自分に自信が持てず、自己肯定感がとても低く、自分を認めることが出来なかったので、

何か価値があるものを、手に入れることにより、自分の価値を上げようとしていました。

私の場合は、綺麗な女性をパートナーにすることで「綺麗な女性を連れているアイツ凄い!!」みたいな感じ。

そうです。

まるで相手を物扱いしていました。

(本当に今思えば、失恋極まりなく、申し訳無いと思います。)

相手を物扱いしているということは、心理学的に「投影」の法則から「自分自身を物扱いしている」ということになります。

ですから、私は自分のことをどれほどに価値が無く、軽い存在だと自分自身が思っていたことが、わかります。

、当時はこのような心理分析などできずに、下心も有り、純粋な「好き」という気持ちもあり、両方の気持ちがありました。

※※※

お付き合いの最中は、以前のように自分が主導権を握ることが無く、

元嫁が主に主導権を握っていましたが、そこまでの事件はありませんでした。

この背景には、私は「この元嫁と別れたら、もちろん悲しみもあるし自分の価値さえも下がってしまう…」

というズルい気持ちもありました。

元嫁はどうなのか?

「こんな私と釣り合うということは…」という、問題有りの女性でした。

まぁ、お互い様ということだった訳です。

お付き合いは2年程して、いよいよ結婚することになりました。

この結婚を決めた裏にお互いに打算があり、

私の実家は何故か「25才になったら実家を出る」というルールがありました。

1人になることを極度に恐れていた私は

「なんとかして、1人で暮らすことを回避しなければ︎」と、思っていたので、

元嫁と結婚はまさに好都合。

一方の元嫁は「私は一生、結婚することが出来ない」と思っていたらしく、

お互いの心の底での思惑が一致してこのような形になりました。

元嫁との結婚式は、まさかのゼクシィが取材に来て、その様子はゼクシィにも掲載され、

その時の写真は、今はメジャーになった「ゼクシィナビ」の紹介冊子の表紙を元嫁は飾っていました。

その時の自分は、周りや世間に対して

「こんなスゲー女と結婚した俺はスゲーだろー!!︎」と、

あたかも勘違いをし、自分に酔っていました。

この後の地獄を知らずに…

※※※

お互いが他人軸で自分には価値が無く、

愛される訳がないと思っている者同士が、パートナーシップを持つとどうなるのか?

それは「支配する」ことで、相手が離れていかないようにコントロールをする側と

「なんでも服従する」ことで、相手に気に入られて離れていかないようにするといった、

依存の状態で繋がる「共依存状態で繋がる」ということになります。

本来のパートナーシップは対等な関係性が原則ですが、私と元嫁の関係は対等な関係性ということはありえませんでした。

 

結婚生活は、元嫁の実家に新築の三階建て建築して、二世帯での結婚生活になりました。

「いつか見捨てられる」と思っている野良猫男子と

「私には幸せなる価値が無い」と思って感情が麻痺している、鉄壁のガード鉄仮面女子とは

「恐れ」という感情で繋がっていました。

元嫁は「自分には生きる価値すらない」と思っていたので、

相手を信じることや尊重することは全くせず

相手を鳥籠に入れるように、私をコントロールをしていました。

私はそんな鳥籠の中に「見捨てられる恐れ」や

「元嫁の容姿を自分の価値とすること」から、

自らの意思で入り、自分を捨てて他人軸で生きていました。

他人軸で生きているので、2人の距離感は物凄く近くなり、

もはや元嫁の基準で生きていく感覚になり、

何をしていても「これは元嫁はどう思うのか?」と元嫁軸になっていきました。

このような状態を心理学では「癒着」と言いますこの「癒着」の状態は、共依存の状態と同じです。

私は、自分に価値を感じることが出来ずに、

何とか元嫁に自分の価値を高めて貰おうと、

高価な服やアクセサリー、バックを次々と購入して、身につけてもらい、

「そのいい女を連れている俺は凄い!!」という感じに、

自分の価値を他人を使って高めていました。

元嫁は、高価な服やアクセサリー、バックなどを文句を言いながらも付けていましたが、

元嫁は「普通の私じゃダメなんだ…」と思い、

やっぱり自分には価値が無いという想いが、強固になっていきます。

ですが、こんな事をしていても、高まった自己肯定感は長くは続きません。

肝心な私の心には穴(自己嫌悪している部分)が空いているので、

他人を使って高めた自己価値は、穴から流れでていき

「あれ⁈おかしいな?。もう気分が良いのが終わってしまった。」と、

いつも感じていました。

そして思います。

「自分で価値をつける為に、スポーツで有名に強くなろう」と思い、

個人競技(硬式テニス)に打ち込みだします。

この頃は、1週間のうちに週に5日は練習をして、

自分の自己価値を高める為に、練習に打ち込んでいました。

こんな、自分の自己価値を高めるだけの生活が、上手くいくはずありません。

元嫁は、とにかく私の自己価値が高まることが、1番嫌いでした。

ですので、私があらゆる手を使って高めた自己価値を、言葉や行動でダメ出しをしたり、嫌味を言ったりして、

元嫁よりも価値が上がらないように、モグラ叩きのように叩いてきました。

それは昔の自分が、元カノにしていた行動そのものだったのです。

何度も怒りを覚えても「1人になりたく無い」という気持ちから

「NO」が言えず、自分の感情を押し殺し過ぎた結果、

自分の感情は麻痺をして、考えることすらしなくなり、

これが当たり前になっていきました。

※※※

お互いの関係性が「自分には価値が無い」ことで繋がっているので、

お互いが互いの愛情を奪い合うという、本当に醜い争いばかりが続いていきました。

「自分のことを必要として欲しい」この想いだけで、

私は元嫁の下僕となり、なんでも言う通りに動くロボットへと変容していきます。

元嫁からは
「おい!!︎お前は本当に役に立たない奴だな」
「もっと金稼いでこいやー!!︎」
「お前と結婚して、損したわ!!︎」
「お前は言われたことしか出来ないのか!もっと周りを見て空気読んで動けや」

こんな感じで、かなりこっ酷く毎日、言わていました。

特に、家事については元嫁から完璧さを求められていました。

 

ある日、フルタイムの仕事で働いていた元嫁から、帰宅が遅くなるという連絡があったので、

料理好きの私は元嫁の助けなになるならばと思い、料理を作ります。

ピンポ~ンと元嫁が帰宅して、テーブルに私が作った料理をみると

元嫁「おい!!お前、何を勝手に料理作ってんだ!!」

私「えっ!!」

元嫁「この食材は明日使う予定だったんじゃ!!勝手に使うな!!

お前は言われたことも出来ないのに、勝手にやるんじゃねえよ!!」

私「・・・。ごめん。もう二度と作りません」

こんな出来事や

 

食事後に食器を棚に返却していると、返却場所がわからず自分で判断して返却すると

元嫁「おい!!お前これは、ここじゃない!!」

私「えっ、じゃあどこに置けばいいの?」

元嫁「そんなこともわからんのか!!」

私「わからないから聞いてるんだけど・・。どこに置けばいいか指示して。そうするから」

元嫁「はぁ?!そんなもん自分で考えて動けや!!ボケ」

私「・・・・。」

 

当時の私は
「おかしいくない?」
「自分はこう思う」
「嫌だ」
「NO」
と言った自己主張をすることが出来ず、どれが正解なのか?をずっと探していました。

自分が無能で見捨てられないようにと・・。

その努力は報われなずに、何をしても認められずに、けなされる状態は変わりません。

言われ通りに行動したにも関わらず、また怒られたりすると、どれが正解なのか?がわからなくなってきます。

この状態は「ダブルバインド」と言いまして、何が正解なのかが分からない為、思考が停止してしまい、行動することが出来なくなっていきます。

(よくDVの被害者が、加害者から逃げれ無くなってしまうのは、被害者がダブルバインドに陥ってしまい、行動することが出来ないからと言われています。)

今でこそ思いますが、そこまでやらせていたのは、

私にも責任がありますし、「NO」が言えなかった私も自業自得です。

元嫁だけが悪いのでは無いのです。

もちろん、私も大概な事をしていましたので、お互い様だと思っています。

結婚生活は、このような感じで進んでいきました。

鳥かごの中に入られた私は、どこかで不自由さを感じながらも、

鳥かごの中にいるという安心感も感じていました。

それほどまでに、1人になることを恐れていました。

 

でも、本当はずっと、ずっと前から「1人」でした。

※※※※

野良猫男子と娘~誰かに必要とされる喜び~Vol 3

25歳で元嫁と結婚し、その後の結婚生活は1人になることの恐怖と、

元嫁がいることで自分の価値が上がるとの勘違いから、

自ら望んで元嫁の鳥かごに入って、他人軸での結婚生活を送っていました。

そんな結婚生活の3年目に、元嫁の妊娠が発覚しました。

元々、私は「自分の子供」にあまり興味がなく、どちらかと言うと、

あまり自分からは積極的には欲しいとは思いませんでした。

なぜなら、子供というと、自分が子供の頃にしてきた体験があまりに辛いこともあり、

自分の子供に対して「喜びや幸せを与えてあげる」ことが、当時の私には出来る自信なんてありません。

今の時代ではかなり認知されてきましたが、当時は「子供優先で親は後回し」という社会的な風潮もあって、

親が自身が楽しんだり、親の時間を優先することは、育児の手抜きであり、親失格だ!!という考えがありましたから、

子供=自由がなくなると思っていました。

そんな、ネガティブな想いばかりでしたので「子供が産まる前に自分の時間を確保しないと・・」という思いから、

自分の価値を上げるために必死になって練習していたテニスをさらに打ち込むようになり、その行動は出産当日まで続いていました。

今になって冷静に考えてみると、それほどまでに自分には価値がないと思い込んで生きていたのだと思います。

同時に元嫁に対しては、ろくなサポートもして上げられずに、

本当に申し訳ないと今でも思っています。

※※※※

無事に元嫁は出産を迎え、女の子を出産しました。

初めて、抱いた娘はとても小さく3000グラムほどでしたが、キラキラしたオーラみたいな輝きを感じた事を今でも覚えています。

この時に何故か思いました。

それは

「この子の為に生きよう」って。

多分、私が産まれて初めて感じたのだと思います。

誰かに必要とされているってことに。

ずっと「自分の存在は迷惑な存在で、誰かの役に立てずにすみません」って思っていたんですよね。

自分の両親の離婚も、私が原因でゴタゴタしたからこそ、両家でトラブルになったし、

産みの母親や祖父母は私と離れることになって、深い悲しみを感じることになったし、

全部の原因が自分が産まれたことがいけなかったと。

だから、自分の事なんて誰にも必要とされる訳ない!!って思っていました。

「恋愛しても最後には見捨てられる。」

「結婚して一緒にいてもらうには何かしないと居てもらえない」

ほらやっぱりって、思いたかったんです。

※本当は自作自演なんですけどね。

赤ちゃんって不思議な存在で、一緒に居てくれるだけで、自己肯定感が上がるんです。

何もできないし、ただ泣いたり、笑ったりしてくれるだけで、承認してくれるんです。

誰からも必要とされていない自分を、必要としてくれるのです。

これは、私の娘だからではありません。

私もそうですし、これを読んでいる方も、もちろん同じなんです。

だから、もし、これを読んでいる方で、誰かを助けたいし、助けて上げることができなかったと思っている方に対して、はっきりと言えます。

「何もし無くても、十分に両親は助けられたよ」って。

貴方の存在だけで、助けになっているんです。

この事を、小さすぎた自分は忘れてしまっているんだけなんです。

※※※※

少し話がそれてしまったので、元に戻します。

誰かに必要にされたいという思いと、無邪気に私を必要としてくれる娘。

この関係性は、表面的には子煩悩の親子になっており、

近所や保育園では「子供好きで子煩悩の親子」という評判のお父さんになっていました。

実際に「子供好き」だったみたいで、子供と関わる事が産まれる前のイメージと、産まれた後のイメージとでは全く違いました。

誰かの役に立てる喜び、それを素直に受け取ってくれることで満たされる、必要とされている自分。

本来ならば、パートナーシップ(元嫁との関係)で満たされるべき想いが、

娘との関係で少しづつ満たされていくので、変な形ですが私は少しづつ元気になっていきました。

※男性というのは、女性から必要とされたいという想いが強くあります。女性側からすれば、いかに男性に対して「貴方は必要なのよ」というメッセージを伝えられるかが、上手くいくパートナーシップ(夫婦関係)のポイントになってきます。

※※※※

私は自分が幼少期にいつも「淋しさ」を抱えていました。

どこに行っても一人ぼっちで、そのままの自分でOKなんて思ったことはなく、

いつも他人の目を気にしながら、空気を読んで、

「いつか捨てられる」という恐怖を感じながら、生きていました。

その想いは、自分の子供には絶対に経験させたくない!!と強い気持ちでいましたし、

何事にも我慢することを決めていました。

ですから、元嫁の理不尽な束縛や嫌味な態度も我慢することが出来ました。

丁度その頃に、元嫁の父親と私の折り合いが悪くなり、2世帯の住宅を出ることになったです。

今、思い起こすと、ここから離婚へのカウントダウンが始まります。

新たな一戸建てを購入して、心機一転して家族3人での生活が始まりましたが、

元嫁の態度は、自分の両親の目がなくなったこともあり、日に日にエスカレートしていきます。

エスカレートして行くならば、それに対して「NO]と言えばいいだけなのですが、

相変わらず1人になるのが怖い為に、本気では言うことが出来ません。

娘によって、回復してきた自信は、元嫁の「お前は本当に役に立たない!!」という毎日のように繰り返される言葉によって、簡単に崩れてしまいます。

まぁ、硬い岩盤のうえの自信ではなく、砂地の上に立っていた自信ですから仕方ありません。

そこで、ムクムクと、湧いてくるんです。

「誰かの役に立ちたい」

「必要とされたい」という欲求が・・。

人は誰かの役に立ちたいという想いを、心理学では「自己重要性」と言います。

この想いが人と人を繋げるのですが、全て良い方向の出逢いでばかりではないのです。

そして、結婚生活8年目にして、とうとう表面化する大きな出来事がある人に出逢うことで起こります。

※※※※

今回は娘とのことですので、何かしらの展開はあまりなくて平凡だったかも知れません。

ただ、今回は「誰もが赤ちゃんの時、ただそこにいるだけで価値がある存在だった」ということをお伝えしたいと思い書きました。

当時、産まれた娘は現在は高校生になり、元気に高校生活をエンジョイしているので、私よりも友達優先の高校生活を送っています。

まぁ、少し淋しいですけどね。

次回は、とうとう問題が表面化して、破綻に向かって進んでいきます。

それでは。

※※

野良猫男子の反撃と復讐の憎悪Vol 4

今回は、自分には価値が無いと思っている、野良猫男子と鉄仮面女子の夫婦が

どのようにして破局していくのかを、書いていきます。

子供が産まれてから、2年3年と年月を重ねていくにつれて、

私もこの生活に慣れて自分の感情を封印しながら、生活していました。

それでも、自分の価値というものが信じられない私は、自分の価値を高める目的でテニスに打ち込みます。

私にとってのテニスの世界は、試合で勝つ者が絶対的な力を持ちことができる世界であり、

普段の自分とは真逆の世界にいることで、自分のバランスをとっていました。

このように、世間では本当の自分を出せないので、本当の自分を出せる

裏側の場所を「アンダーグラウンド」と言います。

私の周りの人達は、テニスというスポーツを楽みながらしていましたが

私はテニスを辞めるまで1度も楽しいと思ったことはありません。

自分は何かしないと価値が無いと思っていた私は、この時に職場のリーダーに自ら立候補し

テニスにも力を入れ休みは休日出勤をして、限界を超えて動いていました。

しかし、自宅に帰れば元嫁からの暴言は止まらず、仕事も休みは無く、身体も心もボロボロ。

この状態が半年くらい続いて、体重は10キロほど痩せてしまい、

流石に私も身体の異変に気がつきます。

こんな時、ある1通のメールが来ます。

それは、練習場所を確保する為に、所属していたテニスサークルにいる女性からでした。

※※※※

浮気の心理として「不足原則」という言葉があります。

これは、自分のパートナーから貰えない物を、ほかの人から補うという心理です。

私の場合は「人に必要とされている感覚」や承認してもらいたい気持ちは、妻から一切もらえないので

妻以外の他社から「必要とされる感覚」や「承認欲求」を満たして貰おうと無意識で思っていたと思います。

話を戻します。

そのメールの内容は「一緒にテニスの練習をしませんか?」という内容でした。

もちろん、下心など全く無く、その日は、ただテニスの練習をして帰ったのですが、

何故かこの時から、磁石のS極とN極が引き合うように、急速に距離が縮まっていく感じがしました。

この時の私は、サークルの女性という武器を手に入れたので、ようやく元嫁と対等になったと感じます。

1人では勝てない相手に対して、浮気相手や愛人のポジションに第3者を入れることにより、立場を逆転させるという心理です。

本来、パートナーシップは対等な関係性でなければいけないのですが、

マウントをずっと取られていた私は、いつも元嫁を見上げていながら、

仕返しのチャンスを狙っていました。

それは、ある日の夕方でした。

いつものように、元嫁は私に対して暴言を吐いて小馬鹿にしてきます。

「おい!お前なんかと結婚するんじゃ無かったわ。本当にこの貧乏神が!!︎」

「お前なんか、実家の三階建ての所有権をよこしたら、こんな家はお前にくれて、いつでも離婚してやるぞ!!」

「悔しかったら、もっと働け!!︎」

この言葉を聞いた時に、何かのリミットが外れました。

「わぁーー!!」

と大声で叫びながら、元嫁に詰め寄る私。

「お前な!!︎今まで散々言いたいこと言いやがって、調子こいてんじゃねーぞ!」

「はぁ?何が所有権もらったら離婚してやるだ!?お前こそ、離婚だ!!︎」

「ここの家から出て行けーー!!︎」

元嫁は、急変した私の姿に怯えて

「ごめんなさい!」

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。」

と連呼して謝罪してきましたが、私は怯むことなく、元嫁を家の外に追い出し、自宅の鍵をかけます。

元嫁は、自分の車に乗って出ていきました。

私は息遣いも粗く、かなり興奮気味で感情的になっていましたが、頭は意外にも冷静で

「こんな事して、今後、どうなるのだろう…」という不安がよぎっていました。

しかしながら、どこかで「やってやったぜ」という満足感を感じていました。

※※※※

私には弱点がありました。

父親の存在です。

私にとっての唯一の肉親である父親に、見捨てられては生きていけないと当時は思い込み、

顔色をうかがいながら、父親のいう通りに生きていました。

俗に言う「父親軸」ですね。

元嫁は、その父親の所(私の実家)に逃げ込み、しばらくは私の実家で生活する事になりました。

ちなみに、元嫁の実家は車で約5分の場所にありますが、

元嫁は自分の実家に帰ることも、この事件のことも、全て秘密にしていました。

父親から、何度も私の携帯に着信がありましたが、私は怖くてその着信を取ることが出来ません。

この電話に出たら必ずや、また叱られると思っていたからです。

30歳のを過ぎたにも関わらず、父親に怒られる事を異常なほど恐れていました。

この時点で、相当おかしいと今ならわかるのですが、当時はそんなことにも全く気が付きもしませんでした。

※※

その後、娘の保育園や元嫁の仕事の事もあり渋々ながら

元嫁は自分の実家に戻り、私も実家に説明に向かう事になります。

自分の実家に戻り、父親から説明を求められます。

私は、全てを隠さずに正直に話しました。

どうせ怒鳴られて、罵倒され、嫌味を言われて、捨てゼリフを言われるんだろうな…と、思っていたら、意外な言葉が返ってきます。

父親「お前が話したことは、本当か?」

私    「全て本当だけど…」

父親「聞いていた話しと違うな。元嫁はお前が自分勝手に家庭を壊したと言っていたぞ!」

私「そんなことは、ないけど。普通に仕事していたけど。」

父親「どうも、話を聞いておかしいな?と思ったんだ。お前がそんなことするかな?って」

「 やっぱり、そうだったのか…。暫くは、ここに居てゆっくりしろ。」

こんなやりとりがありました。

父親に自分が、信頼されていたこともびっくりしましたが、元嫁の嘘にも驚きを隠せませんでした。

そして、実家に戻って暫くして、心療内科を受診したところ「うつ病」との診断を受けました。

こうして、元嫁との別居生活が始まります。

※※※※

私は1人で行動出来ないほどに、弱く、怯え、奴隷の人生を選び生きていました。

その方が、どんな最悪の環境でも「1人になる」ということが無かったから。

それほどまでにも、見捨てられる恐れを抱えていました。

頑張ることで、自分の価値を高めようと努力をしても、高まることがない自己価値。

それでも、頑張ることしか方法がわからず、どうすれば自分の価値を高めることができるのか?と日々をさまよいながら

「俺を褒めてくれ」

「こんなに凄い俺を認めてくれ」

「俺は凄いんだ!!」

「誰か、俺を許してくれ・・。」

とさまよい続けた私は自分で立ち上がる力もなくなり、

最後には決して手を出してはいけない、不倫という行為に手を染めてしまいました。

※※※※

今回、結婚している身分でありながらも、他の女性と関係を持ったことは、

どんな理由があったとしても、許されるべきではありません。

その件に関しては、書くべきか?書かないべきか?迷いましたが、正直に書くことにしました。

それは、過去の私を否定することは、自分の人生を否定することでもあると、私は思ったからです。

このことで、、気分を害された方や、怒りを感じられた方など、いるかも知れません。

その方達に対しては、真摯にお詫びしたいと思います。

今回も、最後まで読んで頂きましてありがとうございました。

※※

野良猫男子の承認欲求と罪悪感 Vol 5

自分の鬱病が発覚したことで、両親達の風向きが、私に追い風になったこともあり、

元嫁の嘘や、暴言などの、日常生活がどんどん明らかになっていきました。

そして、私も、元嫁と離れて暮らすことで、ようやく鳥カゴから脱出した爽快感と自由を感じ、

彼女からは「自分を必要としてくれる感」を感じながら味わっていました。

私は幼少期からこの時まで「褒められる」という経験をしたことがありません。

男性は女性から認められたり、承認されることで、

男性としての役割を全うし、自己肯定感が高くなります。

私は、褒められるという経験がない為、いつも男性としての自信が持てずにいました。

そこにきて元嫁からの暴言などで、自己肯定感などは全くなく、

「自分は生きる必要さえあるのだろうか?」こんな事を、感じながら生きていました。

元嫁から認められず、必要とされていないと感じていた時に、

出逢った彼女は何故か自分を必要としてくれたのです。

こんな心理的な背景がある時のSEXというのは、快楽の感覚ではなく、

自分の存在意義という、承認欲求が凄まじく満たされます。

これは、身体よりも脳や生きる事への本能が求めている感覚のような気がします。

私は、この感覚はこの時以来、味わったことがありません。

これは、薬物のようなとても危険なもので、依存してしまうと、

なかなか抜け出せないと今は、思います。

話を元に戻します。

鳥カゴから出た自由、彼女から得られる承認欲求や快楽。

今まで我慢してきた分の反動は、自分ではなかなか制御できません。

しかも、散々、私を見下してきた元嫁との立場も彼女という、

武器を手にしたことで、立場は逆転し、下克上は成功したのです。

もう、この時の気分は、本当に浮かれていました。

あれほどまでに、私を下僕のように扱っていた元嫁の態度がガラッと変わり、

今まで「ありがとう」の言葉など聞いたこともなかったのに、

私が何かすれば「ありがとう」「ありがとう」と連呼するのです。

この時は、あまりの変貌ぶりに驚いたのと、今までの恨みや憎しみから「ざまーみろ」と私は元嫁を見下していました。

しかし、この浮かれた気持ちを、見たくない現実に、引き戻す存在があります。

それは「娘」の存在です。

この時の、僕から見た「娘」は、パパとママが何故ケンカをしているのか、わからない感じでした。

今でも覚えているのは「パパとママの3人がいい!!︎」と言っていた言葉です。

私はこの言葉を聞いた時に愕然としました。

それと同時に、物凄い罪悪感を感じて、胸が締め付けられました。

何度もブログには書いていますが、私は、生後1ヶ月で母親と生き別れています。

その事から「自分の子供には、絶対に淋しい想いはさせない!!」と心に誓っていました。

娘が産まれてから、こんな自分の想いもあって、娘とは他のお父さんよりも、長い時間を過ごしていました。

その大好きで、元嫁以上に愛していた娘が、私の身勝手な行動で悲しい想いをしているのです。

そして、本当はもっと言いたいこともあり、甘えたい想いをグッと我慢して、

私と元嫁に気を使っている姿が目に写ります。

その姿は、幼い頃に自分がしていた姿が、そこにありました。

「俺は何をやっているのだろう…」

「こんな事をやっていて、いいのだろうか?」

こんな想いが胸に刺さります。

こんな私の心境を知っていた、元嫁は執拗に

何かあれば娘を使って、私にアプローチを掛けてきます。

会話も全く無かったので、娘に伝言を頼んで、会話をさせようとしたり、

携帯電話の留守電メッセージに娘の伝言をいれたり、メールに娘の画像を取っては送ってきたり・・。

元嫁のこのような態度に、私の心は娘を巻き込むことへの怒りや、

娘を使うことで私をコントロールしようとする感じに、本当に嫌気がさしました。

娘は何も悪いことはしていないのです。

本当に純粋に両親のことが大好きなだけなんです。

この純粋な気持ちを利用する元嫁が、私は許すことが出来ませんでした。

※※※

娘に対して「罪悪感」を感じていると、何故か私の周りに

「家族連れ」の姿ばかりが目に入るようになります。

自分1人の時はまだ良いのですが、彼女と一緒にいる時に

胸がギュット締め付けられような感覚を感じます。

本当に苦しかったのですが、それを素直に彼女の前では見せる訳もいかずに、こらえていました。

こんな時、いつも心の中で思っていたのは

「自分は悪くないんだ!!この状況にしたのは元嫁だから・・」と正当化することで、

自分の心を保っていました。

逆に言えば、自分のしていることを正当化したり、相手のせいにしたり、

相手を責めたりしなければ、いけないほど、自分で自分の事を責めていました。

 

それでも、罪悪感というものは、我慢しても我慢してもドンドン苦しくなってきます。

ある時に、同じように罪悪感を我慢していた時に、急に気持ちが悪くなり、

吐き気と共に何度も何度も吐いていました。

この状況から、逃げ出したいと思い、色々と考えるのですが、なかなか答えは見つかりません。

離婚することも、今の時点はどうなるかわからないからできない。

彼女は結婚願望があるので、離婚する意思を見せないと自分のそばからいなくなってしまう。

また、元嫁の鳥カゴの中には入りたくない

どうしよう・・。

どうすれば良いんだ・・。

何が正解なんだ・・。

1番少ないリスクはどれだ?

こんな出るはずのない答えを、ずっと1人で考えていました。

そして、ズルズルと、出るはずのない答えを探して月日だけが立っていきました。

見たくもない現実から、逃れるように、私は執拗に彼女の身体を求めていました。

現実を感じたくない分だけ、世間では知られないクローズした関係の世界に

ドンドン入り込み、お互いを必要とする欲求を満たしていました。

しかしながら、現実化からいくら目をそむけても、結局は現実を直視しなければならず、

罪悪感から苦しさを感じる→現実から目をそむける為に関係を持つ→現実がやってくる→罪悪感を感じる、

この繰り返しの日々の中、結局は自分で自分を追い込んでいるだけなので、何も変わりませんでした。

※※

婚外恋愛と支配欲求の底なし沼 Vol6

私と彼女が出逢ってからの時間は、幸せな時間でもあり、

逆に言えば罪悪感を感じる時間でもありました。

彼女は「NOが言えない」とか「自分を優先できない」とか「周りの人達を過度に優先する」など、

私とは全く真逆のタイプでしたので、とても新鮮な感じがしました。

そして、彼女と一緒にいることでの、充実感や男としての自信、

必要とされている感じは、弱りきっていた私の心を癒やしてくれました。

こうなって来ると、少しづつですが、私の心の中で、変化が起きてきます。

それは

「NOを言わない彼女を手放さないようにする」ということです。

今から思うと、意識的に支配してやろうなんて思いは、さらさら無かったと思います。

でも、どうしても、彼女を手放したくありませんでした。

彼女は、容姿も美人で性格も、周りに気を使え、ノリも良かったので周りの男性からは、

とっても人気があり、独身である彼女のもとには、紹介の話やコンパの話が多くありました。

それに比べると、私は周りの男性と比べてもスペックは普通。

何よりも、別居はしていても妻帯者です。

そうなると、結婚願望がある彼女にとって「将来ある独身男性」か

「本当に離婚するのか不確定な妻帯者の男性」でしたら、どちらを選ぶのか?

おのずと答えは出てきます。

自分の自信の無さもあり、手放したくない思いから「離婚」の意思表示を彼女にするべく

「別居」というワードをだし「今、離婚にむけて動いているから」と常套句を並べ、彼女を説得していました。

その結果、彼女は「離婚する意思が見えて、その先に結婚があるならば」

ということで、私を選んでくれていました。

※※※※

私と一緒にいる=付き合っているということを、おおっぴらにすることは、

離婚が成立していない以上、出来ません。

そのため、私と彼女はどこに行っても、世間の目という見えない敵を

相手にしなくては、いけません。

世間の目というのは、本当に落ち着かず、どこに行っても

「誰かに見られているのではないか?」

「あそこに似た人がいるが○○さんじゃないだろうか?」

「一緒に車に乗っているのを、誰かに見られていないか?」

「この場合は、別に友達として一緒にいるのならば、怪しくないシチュエーションか?」など

とにかく、意識を周りに張り巡らせる為に、地元では楽しむとことも、

心に余裕がなくなりできなかったため、次第に地元を離れて遠くの街に行くようになりました。

遠くの街に行くときも、テンションが高くて2人で盛り上がっている時は、まだ良いのです。

ふとした瞬間に訪れる沈黙や、車窓から見える普通のカップルや家族連れをみると

「こんな遠くの街まできて何をしているんだろう」と現実に意識が戻り、

強烈な自己嫌悪を罪悪感が襲われます。

彼女もそれは、感じていたと思います。

この事を、私は耐えきれなくなって、彼女に聞いてみたことがあります。

「あのさ。なんか時々なんだけど、こんな街まできて・・とか、自分は何やっているんだろう?とかって思わないの」と。

こんなアホな事を聞くぐらい、私は子供で自分の感情にも責任を持てず、

1人で立つことができませんでした。

※※※

この【野良猫男子のリアル恋愛ストーリー】の最初の記事に書いたように、

私は自分の中にある「見捨てられる恐れ」から、歴代の彼女の「愛情」を試して、

結局、別れてしまう悲しい悲劇を繰り返していました。

もう二度と、あの時の「悲しみ」や「淋しさ」「後悔」そして「罪悪感」を感じたくない!!と

決意しても自分の中に住んでいる「悪魔」が私の中で目覚めようとしていました。

ほとんどの場合は、ケンカを私から吹っかけてどうでもいいことで、言い合いに持って行くのです。

その際に「もうお前は帰れ!!」とブチ切れて、トボトボと帰宅する彼女。

彼女が自宅に着く頃にTELをして「おい!!まだ話があるから戻ってこい!!」など

一度、帰宅させたのに呼び戻すのです。

「一度、ドン底を見せておき、後で逆転すれば、相手は喜ぶだろう」という、

今の自分でも理解できない事を、当時は思っていました。

冷静に考えれば、人間の心は、支配することが出来ませんし、

自分の想い通りにならないのが当たり前です。

しかしながら、自分の父親は自分の想い通りに人を動かし、

そのとおりにならないと、人を罵倒し身勝手行動を取っていましたから、

その影響があったのだと思います。

このように、私は彼女の選択肢を徐々に奪っていき、

彼女を自分の鳥かごの中に入れることに成功したのです。

鳥カゴの中での自由がなくて脱出した私が、

今度は、自分の欲求と恐れの為に、彼女を鳥カゴに入れコントロールしていきます。

結局のところ、自分の中にある「恐れ」や「自己肯定感の低さ」や「罪悪感」を、

自分で克服しない限りは「鳥かごの中に入る」か「鳥カゴに相手を入れる」しか、

安心感を感じて生きることが、出来ないということでした。

このことに気がつくのは、数年先でした。

※※※※

日常生活で、外出する時もストレスを感じながら、コソコソと隠れて一緒にいる。

このスタイルを始めて、気がつけば季節はその年の冬が、近づいていました。

彼女との日々を過ごしながらも、私は家庭の事とも何とかしなければ、いけませんでした。

離婚するのか?彼女と別れて元嫁の鳥カゴに入るのか?どれだけ考えても、答えはでません。

そりゃ、今の美味しいところだけの今の生活を正直、手放したくないですから。

これが本音でした。

それでも、形は整えないと彼女は自分の目の前から、去って行ってしまう可能性があります。

彼女には

「婚活の禁止」

「コンパ禁止」

「紹介の禁止」

「連絡先交換の禁止」

など、徹底的に自分以外の異性とコミュニケーションを、取ることを禁止しました。

なぜなら、自分以外の異性に目がいくのは、当たり前だからと思っていましたから・・。

そして、彼女に対して「自分は離婚する」という意思表示を表す為に、

何も覚悟のないまま、私は1度目の離婚調停を申し立てました。

この離婚調停では、元嫁側は離婚拒否で、修復を申し立てて、

私は覚悟も無いくせに離婚希望を相手に伝えていました。

離婚調停では、別居期間もあまりに短すぎた為や、お互いに離婚する要因が

あまりにも少な過ぎた為に、不調に終わり、別居中の条件を決めるだけという、

あまり意味の無い離婚調停で終わりました。

この結果はある意味、大成功でした。

なぜなら、私に離婚して1人で生きる覚悟も無ければ、

彼女を選び離婚するという、覚悟も全くありませんでしたから・・。

心の奥底では、この結果にホッと胸を撫で下ろしている自分いました。

※※

自由と見捨てられ不安の闇 Vol7

離婚調停が不調に終わり、別居条件だけを決める事になり、

正式に私はワンルームの部屋を借りて、マイホームから1人で住むことになりました。

「1人になることが怖い」とあれだけ思っていた人生で初めての1人暮らしは、

とても快適で、ワンルームの部屋なのに「おおー広い!!︎」と思わず声が出てしまうほどでした。

彼女には、自分の罪悪感も有りましたが、このワンルームの部屋を、

誰にも知られたくない気持ちから、教える事はしませんでした。

ワンルームでの生活は、料理は高校時代に仕出し料理屋で、

バイトしていたこともあって大好きでした。

掃除や洗濯などは、元嫁との生活で叩き込まれたので、

人並み以上にこなせるので、全く困ることは、ありませんでした。

しかしながら、1つだけ困ったことがありました。

それは「お金」です。

この時の私のお給料は、支給された時点でマイナスでした。

・自分のマイホームのローン
・元嫁への生活費(別居調停で決まった金額)
・ワンルームの家賃
・自分の生活費

こんな感じでしたので、貯金どころか、通帳の減っていく残高を見ながら

「ああ。今月もなんとかしなきゃな」と呟きながら、必死にやりくりをしていました。

普通に生活しては、直ぐに回らなくなってしまうので、クレジットカードを何枚も使って、

支払いの度に、銀行の口座から引き出して、また入金して、また引き出して、入金するという、

自転車操業で生活をしていました。

それでも、自分さえ我慢すれば、なんとか生活が回るという、

自由という快適さが、貧乏時代の自分を支えてくれました。

この時期の生活が、あったので「人生なんとかなる」ってことが、腑に落ちたと思います。

※※※

この時期は、生活に余裕が全く無かったので、彼女と逢う時も、

贅沢に外食などは、なかなか出来ませんでした。

書き忘れてしまいましたが、彼女とは調停が始まる前から、身体の関係を持つのを止めていました。

それは、2人共に身体の関係を、続けていくのに「罪悪感」を感じていたので、

どちらが言い出したということも無く、2人で合意した感じです。

彼女とは、同じスポーツの趣味でしたので、2人で練習をしたり、

大会に参加したりしながら、過ごしていました。

この間も、勿論ですが私の彼女への支配は変わりません。

朝起きて、彼女が車で出勤する、車内の僅かな時間でも、見捨てられる不安から電話。

彼女の昼休みも、LINEやメールのやり取り。

仕事中でも、LINEやメール。

帰宅中の車の中でも電話。

帰宅した後も、電話をして、寝る前も電話。

とにかく「どこか見張っていないと、こいつも自分を見捨てるはず!!」という、

前提から、信頼することは出来ずに、見張るしかありませんでした。

その行為こそ、自分が元嫁から逃げだそうと思った原因だということにも、気がつきませんでした。

自分で振り返ってみると、完全に癒着している状態で、彼女と私の境界線が全くありません。

関係性で言えば、異常です。

彼女も、本当に1日中、私の監視の目の中にいるので、とても苦しいと思うのですが、

私と同じような、依存状態だったので、お互いにこの状態に納得していたと思います。

※※※

別居という時間は、自分と向き合うことで結婚生活を振り返ったり、

自分はどうしたいのか?を考える為に、するものだと思います。

しかしながら、1人で暮らしに慣れてくると(実際には1人では無いですが…)

元嫁の鳥カゴに戻るという選択ができなくなってきます。

一言で言えば、この生活が自由でいいのです。

そりゃ、そうですよね。

美味しいとこ取りですから。

どんなにお金に困っても、どんなに貧乏でも、自分の好きな事を、

誰にも文句を言われずにできるという事が、こんなにも心地よく感じるなんて、自分でも驚きでした。

今から思えば、自分の意思で決断するということが、子供時代から全くなく、

常に誰かの顔色や雰囲気を伺って、自分の意思を後回しにしていた人生でしたから…。

春から始まった、ワンルームでの別居生活は、元嫁の監視や干渉もなく、

彼女とは罪悪感を感じながらも「身体の関係が無いのだから…」という、

大義名分のもとに、一緒に過ごしていました。

そんな「罪悪感」を感じながらも、別居中ということも

どこか他人事に、なりながら生活していたある日に、

またもや私は自分の中の悪魔に負けてしまいます。

それは、別居して1年が経過するかしないか?ぐらいの時でした。

私は彼女と一緒に、とあるテニスサークルに参加していました。

そこのテニスサークルでは、様々なレベルの方が和気藹々とテニスを楽しんでおり、

その中に、偶然にもテニス界隈では、名前の知れた男性がいました。

その男性は、かなりの有名な選手で、独身者の余裕の雰囲気を感じます。

元々、私は、自分の自己価値を上げる為に、テニスに打ち込んでいたので、テニスが上手い=価値がある人という認識でした。

そんな、自分の思い込みから、その男性は特別な価値がある人と思っていました。

自分の中の悪魔が、ふと、こんなことを、思いつきます。

「彼女に彼を紹介してみて、自分から離れていくか、試してみろ!」

なんとも恐ろしい自分の中の悪魔の提案でした。

しかしながら、女性が信用できない私は、この誘いに乗ってしまいます。

そう。

どうせ、最後は離れて行くと思っていましたから…。

彼女に話します。

私「あのさ、△△さんと一緒に大会とか、出てみたら?」

彼女「えっ⁇別にいいよ。」

私「でも、一緒に組んでもらったらいいじゃん」

彼女「だから、いいよ。もう。」

私「独身者って聞いてるし」

彼女「はぁ?何言ってるの?」

私「まぁ、いいから。聞いてくる」

彼女「もう、止めてよ!!」

サークルの代表者の方に

私「すみません。あの、〇〇ちゃん(彼女の名前)が、△△さんと一緒に試合に出たいから、連絡先を交換したいみたいなんですけど。」

代表者の方「あっ、そうなんだ。じゃあ、プライベートな事だから、本人に聞いてみるね」

私「わかりました。」

代表者の方「〇〇ちゃん、教えてくれるって言ってるから、ちょっと来てくれる⁇」

彼女「あっ、はい。」

連絡先を交換している様子

代表者の方「じゃあ、試合で勝てるといいねー」

彼女「ですね。じゃあ、また連絡します。」

こんなやり取りをして、連絡先を交換していましたが、

彼女は私に対して、怒りを珍しく出していました。

私は、2人のやり取りを遠目に見ながら、どこかでホッとした感じを感じていました。

それは、過去に付き合ってきた彼女に対して行なっていた、

愛情を試す行為の時に感じる感情と全く同じでした。

※※※

この出来事から、数日経ってから、彼女にその後のことを聞いてみます。

私「あのさ。〇〇さんから連絡きたの?」

彼女「うん。きたけど。」少し怒り気味

私「ふーん。それでどうすんの?」心の中は不安や疑いでいっぱいです。

彼女「別にどうもしないけど・・。」

私「あっそう。」

彼女「あのさ、貴方のわがままで、周りの人達を巻き込むの止めてよ!!マジでウザいし、迷惑なんだけど」

私「迷惑かな?」

彼女「迷惑じゃん。そんなこともわからないの??」

本当のことを言えば、自分でも迷惑をかけていること、理解していました。

でも、自分のことなのに、自分の心の衝動を止めることができないのです。

自分の好きな彼女を、違う男性に紹介するという、私に取っては傷つくことしか、

メリットにならないことをして、自分で自分を傷つけているのです。

そして、遂に彼女の口から、恐れていたことを聞くのです。

彼女「私さ、本来ならば独身なんだし、好きなことしても、いいんだよね」

自分で自分に言い聞かせるように話します。

彼女「実は〇〇さんと2人で飲みにいくことになったよ」

私「えっ??なにそれ?何で勝手に決めてんの??どうしてそうなったの?」

「誘われたの??」

彼女「勝手に決めるも何も私は独身なんだから自由だよ。私から飲みに行きませんか?って誘ったの」

私「何だそれ!!断れよ!!」

彼女「はぁー??嫌だよ。散々、周りを振り回し過ぎだよ」

私「とにかく断れ。行くな」

彼女「それは無理だよ。そもそも、貴方が連絡先交換なんてさせるからこうなるんでしょうよ。自業自得だね。」

「それじゃ、○○日に行ってくるから。じゃあね」

そう言って、彼女は自宅に帰って行きました。

私の心の中は、胸の心臓を素手でギューッと、思いっきりわしづかみにされるくらいの痛み、

た自分の目の前から、自分の愛する人が、居なくなる恐怖を感じながら、

震える手でタバコを吸いながら、自分の取った行動を後悔していました。

自分で自分を心から嫌悪し、見えないナイフで自分自身を、何度も何度も刺し殺していました。

※※

自作自演のピエロの悲しみ Vol8

その後、とうとうあの日はやって来てしまいました。

そうです。
彼女が連絡先を交換した男性との、デートの日です。

私は、この日が来ることを心の奥底から恐れ、カレンダーのこの日付を見ては深い溜め息をつき

「どうして彼女に他の男の連絡先を交換させたのだろう」

「本当に俺はバカな奴だ!!︎」と落ち込みながら、何度も自分を責めていました。

デートの当日は、確か平日の夜だったと思います。

その当日の昼間にも私は、自分の中の恐れに負けて
「今日は、何時からなの?」
「何処で飲むの?」
「帰ったら連絡して」としつこくメールをしていました。

デートの時間が近づいて来ると、またもや素手で心臓をギュッと掴むような感じが、何度も何度も襲ってきます。

そして、今回のデートで彼女から振られても傷つかないようにと、心の中で準備が始まります。

「どうせ、お前は選ばれないぞ」
「もう、終わりだな」
「どうせ、新しい男と付き合うんだから」
「また、お前は捨てられるんだ!」

自分の中で捨てられる前提でいれば、無駄に期待して裏切られることが無いので、こんな時は期待などせずに、

最悪な事態をいつも想定していました。

いよいよ夜になって、その時間を自宅にて迎えました。

自宅にいても感情や意識は全て、彼女のデートです。

時計を見ながら「まだ20分か…。まだまだだな」と見えない2人を相手にしながら、勝手に予想をしていました。

時計と、にらめっこをしながらも、気がつくと23時を回っていました。

流石に、デート中は迷惑がかかるだろうと思い、自分から連絡はしないように我慢をしていました。

すると、1通のメールが来ました。

「今、終わったから帰る」

このメールがきた後に、私は返信をします。
「わかった。駅に着いたら電話して」

そのまま、駅に着いたであろう時刻になっても電話はありません。

だんだんと、心の中に抑えていた不安と恐れが、大きな大きな波となって打ち寄せてきます。

こうなると、自分の中の悪魔の衝動が止まりません。

自分から彼女に電話をかけます。

何度も何度も呼び出し音だけが、受話器の中から聞こえてきます。
直感的に「これはヤバイ」と感じ、繋がらない電話を何度も何度も掛け直します。

しかし、繋がりません。

すると、彼女からメールが届き、直ぐに開封してみると、こう書いてありました。

「今日は話したくないから、またにする。おやすみ。」

このメールを見て、私は、彼女の心に何かがあったことを確証しました。

※※※※

彼女が他の男性とデートをしてから、私はいつもの立場が少しずつ、崩れていくのを感じていました。

今までは、別居中とはいえ、私>彼女の関係性で、私が彼女を支配し、鳥カゴに入れているという関係性でした。

しかし、今回の事で、あれだけ彼女を支配していた関係性が、他の男性の出現により私<彼女の関係性に変化しつつあるのです。

この構図は、不思議な事に、自分が元嫁に対して行った下克上を、彼女に同じようにされてしまうということでした。

あれだけ支配していたのに、それが逆転されるというのはもの凄く弱く、無力感を感じます。

そして、主導権を手にした彼女に対して、ビクビクしながら過ごしていましたが、とうとう、Xデーがついに来てしまいます。

※※

彼女と逢って話しをしていた時に、彼女から告げられます。

彼女「私ってさ、独身なんだから、婚活とかしてもいいんだし、自由なんだよね⁇」

私「まぁ、自由だけど…。一応、自分もいるし。」

彼女「でもさ、貴方は、まだ結婚してるじゃん」

私「そうだけど…。一応、別居はしているし、離婚に向けて、行動してるけど。」

彼女「でもさ、離婚はいつになるかわからないんでしょ⁇」

私「離婚なんて、相手があることだから、なんとも言えないよ」

彼女「それにさ、貴方の離婚に、私を巻き込まないで欲しいんだけど。私が居るから離婚するって、おかしくない⁇」

私「まぁ、そう言えばそうだけど。おかしくは無いよ。」

彼女「でもさ、私が嫌なんだよね。それにさ、私は独身だから、普通の彼氏が欲しいし…。」
「いつも、何処に出かける度に、周りの人の目を気にしたり、見つからないようにコソコソして…。私は、堂々と独身なんだから、恋愛したいの!!︎」

私「…。」

彼女「もうね、我慢するの嫌なの。 私ね普通に結婚したいの。だから、だからね、婚活する」

彼女は涙を流しながら、絞り出すような声で私に告げます。

私「じゃあ、俺はどうすれば…」

彼女「貴方が、独身だったら良かったのに…。独身に戻った時に、私がまだフリーだったら、彼氏になるかも」

私「そう・・。」

彼女は、涙を流しながら、決意した目をして話していました。
彼女の中にあった、我慢というダムが決壊したのだと思いました。

この時に、彼女が私といる時に、どれだけ我慢をしていたのか?を初めて知りました。

2人でいる時はそのような態度も出さず、明るく振る舞っていた彼女の心を、私はちゃんと見てあげることが出来ませんでした。

 

※※※

夏が終わりを迎えた頃、彼女と最後の旅行に行くことになりました。

そうです。

渋々だった彼女を「最後だから」と言って、旅行に連れ出したのです。

そして、旅行に一緒に行くことで、彼女の決意が変わるかも知れないという、淡い期待もありました。

1泊2日の旅行は、あっというまに時間が過ぎていきました。

行きの車では、2人共にテンションも高く、盛り上がっていた車内が、帰りの帰路につく頃には、

なんとも言えない、切なさと淋しさ、そして、今日で全てが終わってしまう、悲しさが渦巻いていました。

車内では、彼女も無言で私も殆どの時間を無言でいました。

話したいことや、伝えたい思いは沢山あるのですが、言葉にすると嘘になりそうな感じで言葉に出来ませんでした。

彼女の自宅近くに着き、別れの時間が近くなってきます。

こんな時に気のいたセリフでも言えればいいのですが、何も思い浮かびません。

彼女「じゃあ、行くね」

私「うん」

彼女「私ね大好きだったよ。」

私「うん」

彼女「既婚者だもんね、貴方は。」

私「…。」

彼女「じゃあ、元気でね。」

私「うん。元気でね。ありがとう」

そういうと、彼女は目の前から消えていきました。

今さっきまで、彼女がいたシートが誰も居なくなり、とても広く感じます。

車を運転しながら、何度も彼女の言葉が駆け巡ります。

私「どうして俺は、結婚しているんだろう」とボソッと呟きながら、堪えていた涙が流れていきました。

好きなだけでは、一緒になることが出来ないのだという、理不尽な現実を受け入れるしかありませんでした。

今回は、ここまでです。

※※

父親として生きますか?私として生きますか? Vol9

とうとう、彼女と別れてしまった次の日の朝。

私は、まだどこかで自分の目の前にある現実を、受け入れる事ができませんでした。

以前にも、似たような出来事に何度も遭遇しているので、今回も「なんとかなるだろう」と楽観的にいましたが、

いつもとは違う雰囲気も察していました。

いつもの日課通りに、彼女にメールを送ります。

しかし、メールの返信は、お昼を過ぎても、夕方になっても、夜になっても、ありません。

この時になってようやく

「あっ。彼女とは終わったんだな…」と別れを実感しました。

本当の意味で、身も心も1人になった私は、当時の借りていた、狭いワンルームの部屋で、

自分の置かれている立場や現実を見て愕然としました。

あんなに、1人になりたくないと心から願っていたにも関わらず、結果的には1人になってしまい

「どうしてこうなるんだろう⁇」

「1人なりたく無いのに、どうして…」

「1人になってどうすればいいのだろう」

「1人にならないために、どうすればいいのか⁇」

1人で生きることに、かなりの恐怖を感じていた自分は、1人にならない方法を、ネットで検索を何度も何度も検索しました。

何度検索をしても、1人にならない為の方法は、見つかることはなく、誰もいない1人の部屋で呆然としていました。

※※※

1人には、なりたくはない。

しかし、あの元嫁ともう一度一緒に暮らすのも嫌だ!!

この葛藤が、心の中でぐるぐると回っていました。

私は「必ず上手く行く方法があるはず」と思い、必死になって考えます。

来る日も来る日も、考えました。

そうしていると、少しずつですが、ある答えが浮かび上がります。

考えれば、考えるほどに、この方法しか無いように思うようになります。

そして、決断をします。

それは「元嫁ともう一度ちゃんと向き合う」ということ。

以前は、彼女がいたことで、ちゃんと向き合うことから逃げてしまいましたが、

私は生まれつき「逃げる」ということが1番嫌いだったので、今回は、自分がやれるだけやろう!!と、

ベストを尽くしてダメならば仕方ないと、覚悟を決めたのです。

この当時の私は、とにかく修復にベストを尽くしてダメならば仕方ないと、腹を括っていました。

※これを、心理学では「コミットメント」と呼びます。

「コミットメント」は、どんな状況でも、自分のベストを尽くす︎という覚悟の事で、

何度も何度も自分が、ベストを尽くす選択をするという意味があります。

話を戻しますね。

私は、元嫁ともう一度だけ向き合い、それで修復できるならば、それでいいし、ダメならば離婚しようと思っていました。

自分の愛する娘に対して「パパは、ママと仲直りできるように頑張ったけど、無理だったから、別れたんだよ」と、

胸を張って言いえる自分でいたかったという、思いもありました。

そして、後悔だけは絶対にしたく有りませんでした。

※※※

久しぶりに、元嫁の携帯に電話をして「そっちの家に戻るから。それで、もう一度だけ頑張ってみようと思う」と告げます。

元嫁は「戻ってきてくれるの?ありがとう」と困惑気味でした。

その電話の向こうで娘に向かって「パパが帰って来るって︎」と伝えると「やったー!!」と、喜びの声を上げる娘の声が聞こえました。

久しぶりの自宅は、なんだか他人の家のような感じがしました。

元嫁と娘は「パパお帰りーー」とテンション高めで喜んでいましたが、私はバツの悪さも有り、

高めのテンションにはついて行けずに、言葉も少なく部屋に篭りました。

家族3人が揃っての夕食や、団欒の時間は、以前の状況とは一変していました。

以前の夕食の時間や団欒の時間は、元嫁の暴言が飛び交い

「お前は、言われた事もできんのか?」
「自分で考えて動け!!︎」
「これで、手伝ったとか思うなよ!!︎」

とディスり続けられていた態度が、お客様扱いに変わり、逆に、違和感というかコビを売る感じ見えて、

素直に優しさとは受け取ることは、出来ませんでした。

とにかく、必要以上に気を使っている元嫁に対して、かなりのドン引きと、冷めた目で見ている私がいました。

私は、やれる事は全てやると決めて、自宅に戻ってきたので、修復できるきっかけになりそうなことは、全てチャレンジをしました。

2人の時間を作って、デートにも行きましたし、プールにも行き、家族3人でも旅行に行きました。

家族の為にでも、夫婦として継続できるならば、それでもいいとさえ思っていました。

町内の運動会にも、家族で参加しました。

休日は、元嫁か家族の時間にしました。

何とか、何とか、止まった心が動いて欲しい!!︎と思っていました。

もう一度、家族3人で暮らせるように…

もう一度、夫婦に戻れますように…

とにかく、やれる事を全てやりました。

それと比例して、上手くなったのは作り笑いだけでした。

※※※

この時期になると、自分でも少しずつ気がついてきます。

自宅に居る自分が、頑張っているんです。

自宅で、頑張っているんです。

1番心休まる場所が、頑張らないと居ることが出来ないのです。

何度も、何度も思いました。

「娘も居るし、これでいいじゃないか」
「自分が我慢すれば、全て収まるんだ」
「自分が辛かった離婚を娘にもさせるのか?」
「我慢しろ!!︎耐えろ!!︎これが幸せだ!!︎」

気持ちの中で、私は何度もムチを入れて、良き父親、良き夫を演じていました。

そして、とうとう、限界の日がやってきました。

その日の事は、今でも鮮明に覚えています。

それは、日曜日のちょうど昼頃でした。

私は疲れを感じて、1人でベッドに寝転んでいました。

その時、ふと気がついてしまうんです。

「俺、笑ってないな。何も感じていないよな」

「俺、生きたいなー。感情を感じたいな…。もう一度、笑いたい。」

「そっか、もう、無理なんだ。無理だったんだ。」

そう。

頑張っていました。
ずっと、頑張っていました。

感情を感じてしまうと、無理している事に気がついてしまうので、感情を感じないように、していました。

でも、もう、無理だったんです。

ずっと前から、無理だったんです。

それに、気がついた時、ベッドで天井を見ながら涙が流れてきました。

号泣というよりは、スーッと流れて出てきます。

そこに、娘が「パパどうしたの⁇」とやってきます。

娘は私の涙を見ていました。

私は「ごめんね。パパ頑張ったんだけど…ごめんね。」と娘を抱きしめて言いました。

当時、娘には詳しい事情はわかるはずも有りません。

だって、離婚なんて所詮は、夫婦の問題ですから。

それでも娘は私に向かって「いいよ。パパちゃん。」と言葉をかけてくれました。

私は娘がもう3人でいることが出来ないことを、知っているのだと感じました。

その言葉を聞いて、私は娘を抱きしめ頭を撫でながら「ごめんね。ごめんね。」と何度も呟き・・。
その度に「いいよ。いいよ。」と言っていました。

私は娘の暖かさや、この温もりを忘れないように、何度も何度も抱きしめ、頭を撫でながら涙を流していました。

娘は私の胸の中でじっとしていました。

 

私は「父親」として生きることよりも「私」として生きることを、決断したのでした。

 

今回は、ここまでになります。

※※

「自分らしく」生きるために~自由への闘いへ~ Vol10

夫婦を修復するため、やれることを全てにチャレンジしたにも関わらず、自分の気持ちが戻らなかったことに、

私は自分自身でショックを隠せませんでした。

彼女との関係もなくなり「家族で一緒に住めば、大丈夫だろう。修復に向けて頑張れば、なんとかなるのでは」と考えていたのに、気持ちが戻らない。

そんなことがあるのか…

絶句でした。

でも、どこかで、良い意味で諦めの気持ちも有りました。

それは、本当に覚悟を決めて、ベストを尽くしたと自分自身が知っていたからかも知れません。

自分の中で、素直に気持ちを認め、離婚を決意した私ですが、この気持ちを素直に元嫁には話すことが出来ませんでした。

そうです。

元嫁に対して、罪悪感を感じていたのです。

今だからこそ思うのですが、元嫁も必死だったと思います。

とにかく、自分の感情を二の次にして、私を何よりも優先してくれました。

でも、私の気持ちとしては、素直には受け取れませんでした。

それは「罪悪感」と今までの元嫁に対しての「怒り」の感情からでした。

私は自分の行動に対しても「悪いことをした」と思っていましたし、居心地をよくしようと、必死な姿の元嫁に対して

「応えられなくて、申し訳ない」という気持ちで、一杯でした。

優しくされればされる程に、罪悪感を感じて居心地が悪かったのですし、自分の気持ちが戻らない事に対しても自分を責めていました。

「罪悪感」を感じて「自分を責めて」また「落ち込む」というサイクルをずっと繰り返す。

これが自宅で感じていた感情でした。

正直にいえば、自宅はあまり居心地の良い場所ではありませんでした。

 

それと同時に、今までの態度と真逆の態度に対して「どうして今更するのだ!!︎おせーよ!!」という怒りも、抑える事が出来ませんでした。

本来ならば、ここでもコミュニケーションを取って話し合うというのが、本来の夫婦の形かもしれません。

でも、私と元嫁の間には、大きな大きな溝があり、この溝は、コミュニケーションという掛け橋では到底届かない距離でした。

私の中で、離婚すると決めてしまった以上、このまま同じ家で一緒に暮らすことに意味を見つけることが出来ず、

以前に1人暮らしをしていたアパートに戻ることにしました。

元嫁からすれば、無言でアパートに戻ったことが理解出来ないようでした。

※※※

狭いワンルームは、自宅よりも格段に狭いのですが、何故か、私には安らぎを感じる空間でした。

改めて、自宅での苦しさと閉塞感を感じます。

離婚というのは、残念ながら法律で定められているものなので、知っての通り1人の意向では出来ません。

私は、自分の人生を生きる為にも、元嫁と婚姻関係を解消しないといけません。

しかしながら、コミュニケーションという掛け橋ぎ、2人にはかからないのです。

そうです。

この状況になっても、元嫁は離婚には一貫して応じません。

私としては、「はいそうですか」というわけにもいかないので、何度も話合いの場を持ち説得しようとしました。

しかし、全く応じてもらえませんでした。

私は結婚や恋愛は、どちらか一方が「別れる」と決断したら、関係は解消されるものだとずっと思っていました。

でも、元嫁は違う価値観を持っており、恋愛はともかく、結婚というのは

「何がなんでも離婚してはいけない」

「親は子供の為に全てを犠牲にしなければいけない」

この言葉を、何度も何度も、私に伝えてきたのです。

その言葉を聞いて私は「元嫁と一緒にいる事は、自分らしく生きることができない」のだと思いました。

そして

元嫁のとの婚姻関係は、私に「自由」はなく、鳥カゴの中に入って一生を終えることになるのだと。

この発言を聞いて、私は元嫁に対して、心の底からの想いを伝えました。

「頼むから、お願いだから、もう自由にさせて欲しい…」

この発言をして、元嫁の口から「わかった、もういいよ」という言葉が出たら、多分、私は離婚を選択していなかったと思います。

そして、元嫁の口から出てきた言葉は

「それは、絶対にできない!!」

この一言でした。

この言葉を聞き、私の中で自由に生きる為に闘うという覚悟を決め、元嫁に対して

私「わかった。弁護士をつけて調停する」と伝えました。

私からの宣戦布告です。

元嫁は表情を変える様子も無く

元嫁「仕方ないですね。ご自由にどうぞ︎」と、私から別れられる訳がないという勝ち誇った態度でした。

※※※

この日を境にして、私は元嫁との話し合いや、元嫁への未練や後悔などは完全に無くなりました。

私が、元嫁という鳥カゴから逃げ出すには第3者の力を貸りて、この国では絶対的な力と権力を持つ「法」の力を借りるしかありません。

私は、パソコンで離婚問題に強い弁護士を探します。

しかしながら弁護士に対して、1度目の別居調停の時に依頼した弁護士が、余りにもお金優先のビジネスタイプだったので、余り良いイメージが
ありませんでした。

それでも、私の本気度と自分だけの力では限界だった為、パソコンで探した弁護士と面会をして依頼することにしました。

弁護士に依頼をした結果、離婚調停の申し立てや手続き、調書類の作成など、あっというまに進み、準備万端で1回目の調停の日を迎えました。

私は「この離婚調停が終われば自由になれるんだ!!︎」と意気揚々と裁判所に向かいました。

この後、この闘いが1年8ヶ月も続くとは、誰もが思ってもいませんでした。

今回は、ここまでになります。

※※

カウンセリングとの出会いと忘れられない彼女の存在 Vol11

元嫁との離婚調停が始まるまでに、私はとにかく現状を変化させるべく、様々な事にチャレンジしていました。

離婚のきっかけになった「鬱病」に関してもセカンドオピニオンとして、違う病院にも行ったりしました。

そこでは、臨床心理士の方に話を聞いてもらい、気持ちが軽くなりましたが、精神科医の先生からは

「貴方はどうなりたいのですか?医学的にはとにかく、薬しか治療法が無いので、薬を飲んで下さい」と言われて、薬を処方されただけでした。

私は、改めて自分はどうなりたいのだろう?

何を期待して精神科に行ったのだろう?と考えていました。

自分の中から出てきた答えは「自分の気持ちや立場を理解して欲しい」という思いでした。

現状を変化させたり、解決策は求めていなかったことに、この時に初めて気がつきました。

※※

実は、病院をパソコンで検索している時に、気になる言葉が何度も何度も画面に表示されていました。

その言葉は「カウンセリング」でした。

当時の私は、カウンセリングと聞くと、精神病の人が受けるものや、弱い人が受けるもの、怪しいもの、宗教、そんなイメージを持っていました。

しかし、私が見ていた「カウンセリングサービス」という会社(後にここで心理学を学ぶのですが)のホームページには、

沢山のカウンセラーのブログ記事やお悩み相談事例などが、ありました。

私は、自分と同じ事例がないか?相談事例を片っ端から読み込み探していました。

当時は、男性向けのご相談は少なく、女性向けの記事ばかりで、自分に置き換えて読むのに苦労していました。

何度も何度も、ホームページを読む内に、気持ちの変化がありました。

それは

「カウンセリングを受けてみようかな」という気持ちでした。

しかしながら、実際にはなかなか行動出来ずに、苦しい気持ちを抱えながら日常生活を送ることが、日に日に限界が近づいていました。

カウンセリングを申し込む勇気と一緒に、リアルに所持金も有りませんでした。

お給料は、毎月、支給された時点でマイナス。

クレジットカードを使って、銀行口座のお金を次々に移動させる自転車操業状態では、カウンセリング代金が支払えません。

それでも、タイミングよくボーナスが支給される月だったので、僅かな残高を手にした私は、勇気を出して、カウンセリングの予約を入れます。

私「あの〜すみませんが、カウンセリングを受けたいのですが」

この時点で、もう心臓の鼓動がバクバクでした。

予約センター「面談カウンセリングですか?お電話のカウンセリングですか?」

私「面談カウンセリング1時間をお願いします」

ここでも、相手に病気って思われてないかな?

変な怪しい奴って、思われていないかなと、必死に相手からの視線(電話なんで視線は無いのですが…)を意識していました。

予約センター「あのですね、名古屋では面談カウンセリングは2時間しか受けれなくて…」

当時は、会場の都合で、1時間の面談は受けれず、2時間の面談カウンセリングのみでした。

私「わかりました。じゃあ、電話のカウンセリングをお願いします」

2時間の面談カウンセリングか、電話でのカウンセリングのどちらかに迷いましたが、電話のカウンセリングを選択しました。

予約センター「では、ご希望のカウンセラーはありますか?」

私「〇〇さんをお願いしたいですが」

私はホームページを何度も見て、この人にしようと決めた男性カウンセラーがいたのです。

予約センター「〇〇はあいにく予約がいっぱいでして」

私「では、名古屋で1番早く受けれるカウンセラーさんをお願いします」

予約センター「1番早い方ですと、浅井(仮名)という、女性の50代のカウンセラーになりますが、よろしいですか?」

私「はい。大丈夫です」

予約センター「ではお時間になりましたら、こちらの△△△-☆☆☆までお電話下さい」

こんな感じで、初めてのカウンセリングの予約は終わりました。

電話を切ると、脇や背中が汗でびっしょりになっていました。

※※※

そして、とうとう、カウンセリング予約をした日がやって来ました。

電話カウンセリングは、45分ということで、何を話したら伝わるのか?どうすれば、自分の今の状況を理解してもらえるのか?

何度も何度も、頭の中でシュミレーションをしていました。

そして、時間になります。

携帯の電話を押す指が自然と震えて、また心臓の鼓動がバクバクと早くなっていくのがわかります。

何度目かの呼び出し音の後に、カウンセラーの声が聞こえます。

カウンセラー「はい。カウンセリングサービスの浅井です」

私「あっ、予約していた椙山です」

カウンセラー「最初に1時間の面談カウンセリングの予約を下さったみたいで…。

すみませんね、2時間からしか面談は利用できなくて。それでも、良く勇気を出してお電話してくれましたね。偉いね。」

1番初めの会話の「勇気を出してお電話してくれましたね。偉いね」

これだけで、私には充分でした。

このたった一言で「今までの全てが、分かってもらえた」と感じました。

なぜだかわかりませんが、気がついたら涙を流しながら話をしていました。

カウンセラー「じゃあ、また良かったらお電話下さいね。それでは」

と45分間のカウンセリングはあっという間に終わりました。

電話を切った後、暫くはボーっとして、久しぶりに何も考えない時間が過ぎていました。

そして、電話を切った後で、電話をかける前とは比べものにはならないくらい、気持ちが軽くなっていました。

「なんかカウンセリングって凄いな」

これが、初めてカウンセリングを受けた素直な気持ちでした。

※※

私はその後、担当してくれた浅井カウンセラーに、週に1度のペースでカウンセリングを受けるようになります。

何度も、カウンセリングを受けるうちに、少しづつですが、余裕が無かった気持ちにも余裕が持てるようになり、日々の日常にも変化が現れて行きます。

それは、ずっと日陰だった場所に、ほんの少しですが光が差し込むような感じでした。

カウンセラーさんという、絶対的な味方がいることは、正直にいって、人生で初めての体験だったと思います。

それほどまでに、私は「人」に対して心を開くことはなく、両親や身内にまで「疑い」を持って生きていました。

なぜならば、私は「母親に捨てられた」と思い込んでいましたから・・。

その疑いも、担当したカウンセラーさんに何度も何度も「貴方は愛される価値があるんだよ」とカウンセリングの度に伝えてもらいました。

当時は、その意味もあまりわからずにいましたけど、自分がカウンセラーになってみて、担当したカウンセラーさんにどれだけ愛してもらったのか、

本当に感謝しかありませんし、担当したカウンセラーさんの諦めない気持ちが、今の自分を作ってくれていると思います。

※※

私には、離婚が成立したらチャレンジしたいことがありました。

それは

「別れた彼女と正式にお付き合いをしたい」と思っていました。

もちろん、彼女とは別れて以来、一切の連絡は取っていません。

自分の心の中にある「悪魔」が仕掛けた罠により、私が紹介した男性とどうなったのか?も知りませんし、

男性からモテる彼女でしたから、彼氏ができていても全くおかしくはありません。

それでも、チャレンジするだけはしたいし、何よりも、彼女のことが別れてもずっと好きでした。

その葛藤は、離婚の係争中ということや、自分がまだ独身ではないということで、彼女を苦しめることをしたくなかったこともあり、

ずっと気持ちを隠していました。

それでも、少しづつ気持ちに余裕が出来てくると、自分の気持ちが抑えることが出来なくなっていき・・。

あれほど我慢をしていたのにも関わらず、連絡をしてしまいます。

携帯の電話帳を開き、慣れ親しんだ番号を見つけて、通話のボタンを押します。

呼び出し音がなります。

何度もなり続けて、もう切ろうかなと思った瞬間でした。

彼女「もしもし」

私「あっ。もしもし・・・・。元気にしてた?」

彼女「うん。元気だよ」

私「あのさ、ちょっと伝えたいことがあるんだけど」

彼女「何??」

私「別れたあとさ、自宅に戻って頑張ったんだけど、やっぱりダメで・・。それで、離婚することになったけど、相手と揉めてしまってさ」

彼女「あのあとに、自宅に戻ったのは知っていたよ。だって、アパートに車無かったから」

私「うん。それでさ、あの、勝手なんだけどさ、お願いっていうか・・。あの、今はどんな感じかわからないけど、

やっぱり今でも好きで、ちゃんとしたらもう一度アタックしたいと思っていて。」

「それで、今は調停中なんだけど、離婚が成立してちゃんとしたら付き合いたいから、離婚が成立するまで待っていて欲しい」

彼女「うん。分かった、いいよ」

私「本当に??ありがとう。嬉しいよ」

彼女「でも、離婚が成立するまでは、会えないけどね」

私「そうだね、そこは仕方ないね。まあ、たまに連絡するかもだけど。じゃあ、また。」

彼女「うん。ありがとう。頑張ってね」

電話を切ったあと、私は嬉しさを隠せないでいました。

この時点では離婚調停は半年もすれば終わり、離婚できると簡単に思ってい浮かれていました。

しかし、離婚というものは、そんなに簡単にはいかず、まさか離婚裁判になるなんてことは、誰もが知る余地もありませんでした。

今回はここまでに、なります。

※※

少しづつ進むプロセス~師匠との出逢い~ Vol12

ここで、この当時の私ヤタの状況を簡単におさらいしておきます。

・時期は2012年の3月頃

・元嫁と修復不可能と判断して、離婚調停中。

・別居時に付き合った彼女とは、約半年後に連絡を取り、離婚をしたら付き合うことに。

・離婚決意後に、心理学と出会い、カウンセリングを受けて、自分と向き合い中

こんな状況になっています。

それでは、当時の事を書いていきますね。

※※※

季節は、春に向かって暖かくなっていくにつれて、私はカウンセリングを通して自分の心と向き合っていきます。

担当してくれたカウンセラーの勧めもあって、私は個人のカウンセリングだけではなく、グループで行うグループセミナーにも参加していました。

グループセミナーは、2か月に1回のペースで行われ、潜在意識や無意識といった、自分では意識できない領域を癒していきます。

初めて参加した時は、頭痛が酷く、身体にも負担になっていましたが、参加回数を重ねる事で、頭痛は減り、少しずつセミナーにも慣れてきました。

セミナーやカウンセリングを受けることで、現実が劇的に変化するのでは?と淡い期待をしていましたが、現実は全く変わりません。

そりゃそうですよね。

そんな簡単に現実が変化するならば、みんな悩んだりしないわけで・・。
それほどまでに、自分には何もできないと思っていました。

現実に目を向ければ、離婚調停は全く進展も無く、春先で裁判官の異動を考慮して、期日は2か月先まで無しといつもと変わらない日常でした。

その中で、春休みを利用して元嫁と娘は、自宅から実家に引っ越しをし、私は別居先から自宅に戻りました。

私は、4月から仕事先ぐ異動になり、慣れない職場でストレスを感じながら、研修を受けていた時、研修中の最中に携帯に着信が。

よく見ると、元嫁の実家の番号が表示されています。

私「先輩、ちょっと携帯いいですか?」

先輩「ああ。構わないよ。」

私「もしもし。」

電話「あっ!!︎パパちゃん?」

電話を掛けてきたのは、娘でした。

私「うん。どうしたの元気してる?」

娘「あのさ、ママがパパの話しすると、お前はこの家の子じゃないから出ていけ!って言うし、

パパの事は、あのおじさんって呼びなさいって言うし、すぐ怒るから助けて!!︎」

「パパ、やっぱり3人がいい!!︎」

6才だった娘に、助けてと言わせている自分。

子供よりも、自分の事を優先している自分。

子供を犠牲にして、自分の幸せを優先している自分。

本当は「助けに行くからね!」となり振り構わずに娘の元に駆けつけたい衝動が、湧き上がります。

でも、

でも、

私は決めたのです。

娘の純粋な気持ちよりも、自分の人生を選んだのです。

心臓を握り潰すくらい、胸が締め付けられます。

それでも、伝えないといけません。

私「ごめんね。パパは、3人では住めないよ。お爺さんには話しをしておくから。そういう事を言わないように、言っておくからね」

娘はこの言葉を聞いて、小さな小さな声で
「 うん。わかった。」と言いました。

小さな身体で、小さな心で、目の前の現実を受け入れようと、必死に自分に言い聞かせている娘。

その姿を察すると、何もしてあげられない自分に腹が立つのと同時に

こんな自分なんて死ねばいいのに!!︎と、何度も自分を殺しました。

そして、心の中で「ゴメンね、ゴメンね」と何度も謝ることしか出来ませんでした。

 

※※※

この出来事を、カウンセリングの時にカウンセラーに話すと

カウンセラー「大丈夫よ。ちゃんと貴方が自分と向き合って必死な事や、娘さんを愛している事はね、不思議とちゃんと伝わるものなのよ」

「貴方がそんなに苦しむって事は、それだけ娘さんを愛している証拠でしょ。子供の事を愛していない親はいないのよ。貴方の母親もきっとそうよ」

こんな話しをしてくれました。

カウンセリングが終わった後に、不思議とカウンセラーの「貴方の母親もきっとそうよ」という言葉が引っかかります。

自分がこんなにも娘の事を、愛しているのならば、親っていうのは、子供を愛するみたいだな。

だとしたら、自分もひょっとしたら、生き別れた母親に愛されていたのかも知れない。

自分へ、生き別れた母親の事は、何も知らないし、父親も祖父や祖母なども、無かった存在にしている。

それに、自分は、誰から産まれてきたのか?さえも知らないし、このまま知らずに生きていくのは嫌だしな。

そうなると…

探すしか無いのか…

ともかく、やるだけやるしか無いな。

こんな感じで、生き別れた母親探しが始まります。

生き別れた母親を探すのに、有効な手段は戸籍謄本ということは知っていました。

それを、どのように活用したらいいのか?がわからなかったので、離婚調停の打ち合わせの時に、弁護士さんに聞いてみます。

私「あのー、この戸籍謄本にある母親を探そうと思うんですが、どうしたらいいですかねー?」

弁護士「あっ、簡単ですよ。とりあえずここの役所に連絡して、辿っていけば、いつか辿りつきますから」

なんか、自分が想像したよりも簡単な感じでした。

この日から、母親探しの日々がスタートしました。

※※※

グループセミナーと個人カウンセリングを受けて、4か月程が過ぎた時に、グループセミナーでも、

自分の問題を扱って貰いたいと思うようになりました。

グループセミナーではくじ引きにより、2日間で6〜7人ほどの個人的な問題を扱うのですが、くじ引きに当たらないと扱ってもらえません。

しかし、大阪で行われているグループセミナーの初心者向けのセミナーは、挙手制で問題を扱ってもらえると聞きつけ、

私は迷わず大阪でのセミナーに参加をします。

大阪でのセミナーの担当は、師匠でもある「根本裕幸さん」でした。

グループセミナーでは、問題に対して、配役を選んで、その配役の方と向き合ったり、近づいたりして、

潜在意識や無意識を書き換える「ロールプレイ」という、心理療法を使います。

この2日間のセミナーの内容や、セッションなどは、残念なことに、あまり記憶が有りません。

薄れる記憶を掘り起すと、私は1日目の最後に、自分の問題を扱って貰いました。

その時のセッションは、もう一度、母親から産まれるという再誕生のセッションでした。

そのセッションが終わった後

根本さん「あっ。君は明日の朝もまたセッションやるからね。これで終わりじゃないから。明日までずっとセッション中だからねー」

と言われて、私は⁇⁇なんだそれ⁇という感じでした。

そして、次の日の朝、セミナーが始まると

根本さん「さっ、じゃあ昨日の続きやるよ」と本当に続きが始まります。

今度は、元嫁を手放すセッションでした。

根本さんがセッション中に言います。
「貴方は、本当に頑張ってきました。でも、無理だったんですよね。じゃあ、横にいる女神様に言ってみて下さい。」

「私には無理でした。彼女を幸せにして下さい」って

私は、なかなか言えませんでした。

言葉にしようと、必死に声に出そうとしても、声にならず、涙だけが溢れます。

自分の不出来

自分の力の無さ

プライド

自分の価値など

自分の中の「負け」を認める事がなかなか出来ません。

それでも、最後の力を振り絞り

私「彼女を幸せにして下さい」と女神様役に、元嫁役の女性を託し、セッションは終了となりました。

セッション後に、根本さんが私に向かって言います。

「貴方は、本当に与えたい人なんですよね。でもね、与える事は、人生をかけてすることでは無いんですね。

もし、貴方が、それでも与えたいならば、それは、ビジネスとしてやりなさい。ちゃんと枠を作って、その中でやるようにしないとね」

セッションや、他の内容は覚えていないのですが、この言葉だけは今でも鮮明に覚えています。

これが、自分の師匠となる根本裕幸さんとの、初めての出逢いでした。

今回は、ここまでです。

※※

求めていた母親のぬくもり~35年の時を越えて~ Vol13

根本さんの、グループセミナーを受けてから
自分の心の中で、変化がありました。

それは

本当は母親に逢いたいという気持ちでした。

この気持ちを、ずっとずっと隠して
抑え込んでいました。

生後1ヶ月で生き別れた自分は、
母親に捨てられたと思っていました。

そんな、捨てられた自分に逢いたい訳がない

だって、自分は邪魔な存在だったんでしょ

だから、逢いに行くとかあり得ないし
探すなんて、迷惑なはずだよね…。

こうやって、自分の心を抑えていました。
必死に自分にいい訳をして。

でも、

セミナーに出てこの気持ちに気がついてしまったんです。

そして、決意します。

母親を探すことを。

※※

離婚裁判を担当してくれた、弁護士さんの
言う通り、区役所の住民課に行きます。

戸籍謄本を取り寄せてから、窓口の女性に

ヤタ「あのー。ここの謄本に載っている母親を探しています。1ヶ月の赤ちゃんの時に行き別れちゃって。どうしたらいいですか?」

謄本を指差しながら

窓口「このお母さんのことを探しているの⁇」
ヤタ「 そうです。」

窓口「ちょっと待ってねー。」

窓口の女性が、上司みたいな人の所に相談に
行きます。
その2人の所に、他の職員も集まり出して、
野球の円陣みたいになっています。

さっきまで、平穏だった区役所の窓口が、
途端に慌ただしくなり、なんかわからない
使命感みたいなものまで、伝わってきます。

窓口「お任せしました!︎」とかなりの
興奮気味の口調で話します。

「あのね、次にお父さんの本籍のある〇〇の場所の謄本を取り寄せてから…。」
「ここに連絡すればいいからね。頑張って!!︎逢えるといいね」と

ヤタ「色々とありがとうございました。」

区役所の人達って、こんなにも熱い人達なんだーっと、ビックリしながらも、応援されている気持ちが嬉しかったです。

そして、この次の住民課に電話をすると
またしても、電話口の口調が、興奮気味に。。。笑

そして、同じように
「次は、ここに連絡するのよ!いい分かった」
「頑張って探してね」

そして次の住民課でも、またしても。

本当に住民課の方達のスイッチの入り具合と
いつもの流れ作業的な感じのギャップが、
逆に嬉しくなってきます。

人間って、誰もが役に立ちたい気持ちが
あるんだなーって、しみじみ感じました。

住民課巡りも、4回目になり戸籍謄本を辿って
いたら、何故か、地元の名古屋に帰ってきました。

区役所の住民課に行き、いつものように伝えます。

戸籍謄本を取り寄せて
「この母親と生き別れたので、探しています」
「次はどうすればいいですか?」

窓口「うーん。この人探しているんだよね。戸籍の移動はないから、住所の付票を取れば住所がわかるよ」

ヤタ「え!住所わかるんですか?」

窓口「そうですね。じゃあ、住所の付票の申請して下さい」

申請を出して、暫くすると、名前を呼ばれます。

窓口「これが住所だから、ここにいるはずですよ。」

住所の付票の場所は、名古屋市内でしたが詳しくない場所でした。

ヤタ「ここの住所にいるんですね。ちなみに、この辺りってどんな場所なんですか?」

窓口の方は、地図を持ってきてくれて
「住所の付票からすると、この辺りですねー。」

地図を見ながら、思います。

ここに、お母さんがいるんだ…

ヤタ「色々と地図まで、ありがとうございました。」

こうやって、沢山の人達の応援やサポートの結果、母親の住所を知ることができたのです。

※※

母親の住所を知ったことを、
付き合っていた彼女に報告します。

ヤタ「お母さんの居場所分かったよ」
彼女「良かったじゃん。で、どうするの?」

ヤタ「うーん。どうしようか迷う。逢いたい気持ちも有るのだけど。なんか怖くて。」
彼女「怖いか…。でも、シンゴが逢いに行ったら嬉しいと思うよ。お母さん。」
ヤタ「うん。」

なかなか、次の一歩が出ませんでした。

住所は知っていたので、色々な方法を考えました。

予め、電話をしてから行く

電話だけにする

でも、どの方法を教えても、最後に行き着く
ところは同じでした。

自分が逢いにいったり、コンタクトを取って
母親に拒否されるのが、怖いのです。

1ヶ月の赤ちゃんの時に感じた感情を、
もう一度、感じるのは耐えられない

そんな気持ちでした。

もう一度勇気を出して、母親に逢いに行って
拒絶されたら…

僕は、もう生きてはいけない
2度も捨てられるのは、耐えることが
できないと自分で知っていました。

この恐れを乗り越えることが、
なかなか出来ず、2ヶ月程、放置していました。

※※

2ヶ月の放置で、季節はすっかり夏も終わりに
近づいていました。

考えても、考えても、答えは出ません。

とにかく、何かアクションを起こさないと
何も起こらず、この状況がずっと続いて行きます。

こんな時に、背中を押してくれたのは
娘の存在でした。

娘とは、離婚裁判中でも、不定期ながら
何とか面会できていました。

その娘の姿を見て、自分の子供をこんなにも
親は愛しているのならば
母親も僕も愛しているのではないか?

無邪気に
「パパちゃん、パパちゃん」と逢えなくなっても
懐いてくる娘の姿を見て
「俺は逃げてはいけない!︎娘だって怖さを乗り越えて来てくれているんだ!!」
「 負けない!︎  俺は、負けちゃダメだ!!︎」

と自分を奮い立たせて、覚悟を決めます。

母親に逢いに行くのは、夏のお盆の最中にしました。

それも、アポ無しです。

色々と考えたんです。
もし、事前にオファーを出して、断られた場合
2度と母親の顔を見ることが、出来ません。

でも、アポ無しで行けば、断られても
母親の顔は見ることができる。

一度でも、母親の顔を見たいという思いから
この作戦にしました。

※※

いよいよ、当日になりました。

それでも、1人で行く勇気が持てず、彼女に着いて来てもらいます。

彼女を迎えに行き、母親の住所へ行こうとする
車中で、彼女とケンカが始まります。

この日のケンカは、いつもの感覚とは違うものがあります。

野良猫マインドから、喧嘩をふっかける感じとは
どこか違っていて、
自分でも、どうしてこうなるのだろう?と
思っていました。

今思えば、無意識的に母親も逢いに行くことに
抵抗感を感じて、ケンカをふっかけて、
目を逸らそうとしていたんだと思います。

何度目かのケンカで、彼女が
「どうすんのよ!︎!逢いに行くの?︎行かないの?︎」
「行かないなら、帰るけど!︎」

そうはっきり言ってくれて、
ようやく正気を取り戻し
「逢いに行くから。ごめんなさい。」と
ジタバタに終止符を打ち、覚悟を決めました。

この時の彼女の一言が、喝になり本当に
助かりました。

※※

いよいよ、戸籍の住所に車で向かいます。

その住所にナビが案内して、近づく度に
心臓の鼓動が、早くなり、車の中にも
緊張感が走ります。

戸籍の住所に着くと、そこは団地でした。

沢山の団地の中で、その棟を探していくと
とうとう、見つけます。

「ここか…。」

探して初めてから、沢山の方の想いがあって
ようやく辿り着きました。
身体が緊張感から、硬くなっているのが、
感じられます。

「〇〇号室は?どこかな?」と外から探して
いると、部屋の中から中年の女性らしき人影が
出てきます。

とっさに、僕は彼女に向けて
「誰か出てきた!」と車の中で叫びます。

彼女は「顔は見えたの⁇」

ヤタ「いや、わからなかった。ちょっと行ってくる」

と車を飛び降りて、まずは郵便ポストの名前を確認します。
名前は、戸籍謄本通り、母親の旧姓です。

間違いなく、母親はここに住んでいます。

階段を上がり、部屋の前まで行き、大きく深呼吸。

呼吸が浅く、苦しくなっていました。

インターホンを、鳴らす手が震えます。

今ならばまだ、引き返せるぞ!!︎
拒絶されたらどうするんだ!!︎
お前は必要とされてないぞ!!

頭の中で、自分の中のエゴが騒ぎます。

一緒だけ、迷いましたが、
インターホンを押します。

中から「はーい」という声と同時に、
玄関のドアが開きます。

その瞬間

この人が僕のお母さん⁈
お母さんなのか…

こんな想いを感じます。

そして、

ヤタ「〇〇さんですか?」
母親「はい。そうですが。」

母親は、不思議そうな顔をして、
僕の顔を見ています。

ヤタ「僕は、貴方の息子のスギヤマシンゴです」

母親は、ハッと顔色が変わります。

母親「ちょっと。お母さん(祖母のことです)、お母さん︎」

中を覗くと、お婆さんが寝ていました。

そのお婆さんに向けて、興奮気味に話します。

母親「シンゴ。︎シンゴが帰ってきたのよ」
祖母「うん⁈シンゴ⁇」
母親「そうよ。私が産んだ子よ!!︎帰ってきたのよ!」

お婆さんも慌てて、玄関に出てきます。

僕はもう、限界でした。
「お母さん!︎お母さん!︎」
「ずっと逢いたかったよ。淋しかったよ。」
「お母さん!あーあー…」

泣くというよりは、嘆きに近い状態で
玄関に倒れ込み、泣きじゃくっていました。

心の底からの声というのは、自分の意思では
制御できないものということを、知りました。

倒れ込み泣きじゃくっている僕を、
背中をさすりながら、抱きしめくれたのは
母親の温かい手でした。

35年間、求めていた温もりが
そこには、ありました。

今回はここまでです。

※※

生き別れの真実~止まらない不幸の連鎖~Vol14

前回は、35年振りに生き別れた母親と
再会したところまででした。

ちなみに前回の記事はこちらから

今回は、母親と祖母と私ヤタとの会話が
中心です。
そして、その会話の中から、生き別れの真相が
見えてきます。

それでは、どうぞ。

 

35年振りに母親と再会し、玄関に倒れ込み
嗚咽のように泣きじゃくった後、
母親に促され、部屋の中に入ります。

部屋の中には、私と、彼女、母親、祖母の
4人。

母親が冷たい麦茶を用意して
改めて話をします。

母「わざわざ今日は、来てくれてありがとう。」
私「うん。」
母「お母さんの事、探したの?」
私「そう、戸籍謄本からここを探したよ」
母「ここの家はね、シンゴが産まれた家だからね。ようやく戻ってきたのね」
私「ずっとここに住んでいたの?」
母「ううん。前は違う場所にいて、その後から
ずっとここに住んでいる」

部屋の中を見渡すと、仏壇と写真があります。

母「あれは、貴方のお爺さん。」
「 シンゴが連れて行かれた後に、ガンがわかって1年ほどで亡くなったのよ。」
私「そうなんだ。」

この後、彼女を紹介したり、今の離婚裁判の
話など、自分の近況を伝えます。

実は、今回、母親に逢うことで確かめたいと
思ったことがありました。

それは

本当に自分は、母親に捨てられたのか?
愛されていなかったのか?

これを、確かめたいと思っていました。

お互いに、近況を伝えた後で、母親に
話をしようとするも、どうしても
勇気が出ません。

だって、本当に自分は愛されていないと
わかったり、捨てられたのならば
立ち直ることができないから…。

言葉にしようと、喉までは出るのに
声にはならない。

そんな事を何度も繰り返して
いたら、

母「どうして、逢いに来たの?」

何かを察したように、私に問いかけます。

私「なんか、自分が誰から産まれて、どうしてこうなったのか?を自分でちゃんと知りたかったから。」

私「自分の心の中に、ポッカリと穴が空いてる感じがして、本当の真実を知りたかった。

でも、今日、逢いに来るのが、本当に怖くて…。」

話しているうちに、また涙が溢れます。

私「今日、逢いに来たら、また、昔みたいに拒否されるのかな?また、自分は捨てられるのかな?って思ったら、

本当に怖くて。何度も何度も止めようとしたけど。でも、今日しかないって思って…」

最後は涙で言葉が聞き取れない程に。

母「泣かないで。泣かないで。もう、何処にも行かないから。」
母親が私の手を強く強く握りながら、私に訴えかけます。
私「うん。うう…。」

涙しか出ません。

母「お母さんは、シンゴを捨てたんじゃないよ。」
私「うん」
母「シンゴは、ある日突然、連れて行かれたのよ」

母「貴方のお爺さんと、父方の祖父が話しをしてね。お爺さんはね、貴方のお父さんのことが、とても嫌いだったの。」

母「だから、別れることが決まった後に、あんな奴の子供なんか手放せ!って言って、父方の祖父と話しをつけてしまったのよ」

母「お母さんやお婆さんは、お爺さんに逆らうことが出来なかった。だから、シンゴに本当に迷惑をかけてしまった。」

母「シンゴは、何も悪くないのよ。シンゴのせいじゃないの。ごめんね。本当に悪かったね」

そう言いながら、母親は涙を浮かべていました。

その時

祖母「本当に悪い奴はあいつじゃ!あの男、今でも絶対に許さん!︎」

興奮気味に、怒りの感情を出しながら
話しを続けます。

祖母「あんたの親父は、母と結婚したにも関わらず、女を外に作りよった。

そして、お腹の中にあんたがいる時に、その女と一緒になりたいから、別れてくれと言い出したんじゃ。」

祖母「全く身勝手も過ぎるが、母のお腹に子供がいるのに、別れてくれとか言って、本当に母が不憫で…。

妊娠してから、自宅にも帰って来ずにふらふらして」

祖母「それで、あんたが病院で産まれても、全く病院にも来ずに、2.3日後に少し顔だけ出しよって、後ろめたいから直ぐに帰りよったわ!」

祖母「ようやく退院して自宅に、あんたも戻ってきたら、静岡のお爺さんが来て、シンゴを連れて行くって急に言われて…。」

祖母「この子もかわいそうだったが、私の周りがみんな孫が産まれて、孫の話しをみんなが嬉しそうにするんだわな。」

祖母「その時、孫は可愛いだろう⁇って周りの人に聞かれた時に、孫が連れて行かれたって話すのがとても辛くて・・。

周りは嬉しそうに話すのに、どうして孫がいないんだろうって、本当に悲しくて悲しくてよ…」

祖母「だからアイツだけは、絶対に許さん!」

自分が生き別れたことが、
母親だけではなくて、まさか祖母までもが
苦しんでいたとは思いませんでした。

そして、
祖母の中ではまだ、決着がついておらず、憎悪の炎が心の中で燃え盛っていました。

※※

祖母が席を外した時に、
母親は、当時の日記を見せてくれました。

「シンゴと離れてしまった。ふと気がつくと涙が溢れてくる。あの子は、元気にしているだろうか?
新しいお母さんに、ちゃんと可愛がってもらえているだろうか?
新しいお母さんは、優しいかな?
新しいお母さんが、気に入ってくれるといいな。
シンゴ、幸せになってね。」

こんな文章が綴られて、いました。

そして、

母親は、これをどんな気持ちで
書いたのだろう。

どんな気持ちで、自分の子供を他人に
託したのだろう。

何も出来ないもどかしさを、
どれだけ感じたのだろう。

母親の無念さ、愛情、後悔、自責の念などの
感情が痛い程、伝わってきます。

この想いは、自分が娘に対して抱いていた想いと
全く同じでした。

その瞬間、

私は愛されていたんだと、心から感じました。

これは、愛する娘と離れることを、経験した今だからこそ、

この気持ちを痛い程共感することができたのだと思います。

母「実はね。お父さんと結婚する前に縁談があってね。お爺さんもお婆さんも、

その人にしなさいって言っていたけど、お母さんは、お父さんを選んだの」

母「だからね。別れる事になった時、お婆さんとお婆さんの前では泣くことが出来なかった。
だって泣いたら、縁談を選べば良かったのにって、責められるのが、わかっていたから…。」

母「だから、必死に涙を流すの我慢してた。本当に辛かったけど。夜、布団の中でバレないように声を殺して毎晩、毎晩、泣いていたのよ。」

母「それでね、1番辛かったのは、1か月でシンゴと離れてしまって、シンゴが居ないのにおっぱいが出るの。

お母さんに子供はいないのにね。これがね、1番辛かったよ」

母親も沢山、沢山、苦しんで生きていたのです。

私に関わった人達が、沢山の悲しみや苦しみを抱えて生きて来たことを知りました。

※※

以前、育ての母親から父親の離婚原因について1度だけ聞いたことがあります。

その時は
「お爺さんが、俺の家庭に干渉して来て、男のプライドを邪魔してくる。何度も止めてくれと言ったが聞き入れてくれなかった」

こんな話しを、聞いたことがあります。
でも、真実は全く違い…。

母親を探している話しを、父親にした時
あまり良い顔をしませんでした。

多分ですが、真実を知られたくなかったのでしょう。

母親と祖母からの話しを聞いて、あることに気がついたんです。

この話しの登場人物、誰も幸せじゃないって。

誰もが未だに、引きずっているんです。
全くもって終わってないんです。

今もまだ、心のなかでは終戦になってないんです。

残念ながら。

これは、誰かが幸せにならないと、終わらないんだって思いました。

いや、終わらせないといけないとも、思いました。

だから、母親にこう告げます。

私「もう、終わったことを何を言っても変わらない。だからね、もういいよ。」

私「逢えたことが嬉しい。それだけでいいから」

母「そうだね。その通りだね」

気がつけば、夕方になっており
連絡先を交換して帰宅しました。

35年の月日を、一気に取り戻した日に
なりました。

嬉しくもあり、沢山涙した日でもありましたが、私はこの時に大きな勘違いをしていました。

その勘違いに気がつくのは、もう少し先の話しになりますが…。

長くなりましたので、
今回はここまでです。

会話のシーンが多くなり、読みにくいかも知れませんが、お許し下さいませ。

それでは。

※※

罪悪感という鎖~共依存の底なし沼へ~Vol15

35年ぶりに、抱きしめてもらった
母親の感覚は、自宅に帰っても
まだ残っていました。

自分は一体、誰から産まれたのだろう。

自分は、本当に母親から見捨てられたのか?

35年間もの間、自分の心の中心にポッカリと
空いていたスペースが母親との再会によって、
小さくなっていることを感じました。

「これで、もう全てが上手くいく」
「自分はもう大丈夫だ。」
「俺は幸せになれる!」

そんな事を、考えていました。

しかしながら、現実的に起こるのは
以前と全く変わりがありません。

せっかく戸籍を辿って、沢山の人の力を
借りて母親と再会したのに、現実は彼女を振り回して、毎度の喧嘩。

彼女が何処かに行くのが不安だから
毎日、朝から夜更けまで、たいして用もないのに電話。

土日には、朝から晩まで一緒に居て帰宅したら、また電話。

今思えば、こんな生活を良くしていたなーと思います。

でも、当時はこの生活が僕に取っては普通の日々でした。

どんなに彼女が
「貴方だけだから心配無用」と
言ってくれても、100%信用できません。

「もう、絶対に俺は騙されない!」
「あの頃のように1人になりたくない!」

この頑固で、心の奥底から湧き上がる恩怨の声から
何度も何度も、彼女を試していました。

その行動は、母親と再会する前と
何ら変わりはありません。

僕は、母親に逢えば、今までの人生が
オセロがひっくり返るように、上手くいくに違いない!と思っていました。

何故か?

母親に逢えば、自分の価値が上がる
と考えていたから。

何かミッションをこなさないと、
自分には価値がなく、そのままの
自分は価値が無いと信じていました。

だから、母親から捨てられたんだと。
自分は母親から選ばれない存在なのだと・・。

結局、母親に逢えば現実が変わると
信じて頑張ってきましたが、
何も変わらない現実に、
「どうしてなんだ?」
「おかしい」
「これで上手く行かないのは何故なんだと」
と自問自答を繰り返しながらも、答えは見つかりませんでした。

※※

この頃、離婚調停は元嫁と離婚は同意していましたが、

財産分与や慰謝料の金額で折り合いがつかず、離婚調停は不調で終わっていました。

このままでは、離婚成立にはならず離婚するには、離婚裁判しか方法はありません。

離婚調停が、不調に終わったことを
彼女に連絡すると、
明らかに落胆した声で一言
「そう…。」
とだけ呟きました。

彼女の発した「そう」の言葉の中に
沢山の感情が含まれていました。

悲しみや寂しさ、苦しさやまだ我慢
をしないといけない辛さ。など

本当ならば、彼女は誰の目も気にせずに
好きな人と楽しく幸せな時間を共有
できるのに、それができない。

弁護士からも
「相手側から、余分なツッコミをされて
裁判官の印象が悪くなると困るから、
2人で逢うのは、控えて下さい」と
言われる始末。

世の中のカップルが、普通にできることや
普通にしていることが、僕らにはできない。

しかも、誰かに見られているかも知れない
という、監視されているような感覚。

外出しても、落ち着くことはありません。

2人で車に乗れば、探偵に尾行されて
いないか、バックミラーをずっとチェック。

買い物は、車で1時間かけて、隣街の
ショッピングモールへ。

外食も人目が気になるので、自宅から
お弁当を持参して、車の中で食べる。

デートはほとんどが漫喫で過ごす。

僕ら2人は、犯罪者のような感じで社会で生活をしていました。

いつになったら、社会の目から見逃して貰えるのだろう。

今の自分達にはこの世界が相応しいのだろうか…。

しかし、元嫁に法外な慰謝料を支払うことは出来ない。

どうすれば…

どうすればいいんだろうか?

出るはずの無い答えを、ずっと探していました。

※※

彼女と再会して10カ月が経過して
この間のお付き合いは、僕も彼女も精神的にとても苦しい時間でした。

このような状況でも、彼女は僕から離れるという、選択をしませんでした。

正確に言えば、離れる選択を僕がさせませんでした。

まぁ、そうは言ってもお互いがこの関係に何かメリットを感じて、
選択をしていたのです。

僕ら2人の関係は、心理学的には不安からと罪悪感で繋がっている状態でした。

そんな状態の2人に、幸せな時間が訪れる訳もありません。

しかも、上記で書いたような、世間からの眼を気にするあまりに襲ってくる、罪悪感。

2人で逢えば逢うほどに、罪悪感は強くなり、居心地も悪く、心に余裕も無くなる。

そして、お互いの不安や罪悪感をぶつけ合い、相手にこの不安を何とかしろと押しつけてしまう。

そんなに、罪悪感を感じるならば逢わなければいいと、

頭では分かっていても、何故か彼女を求めてしまう。

こんな状況の時、罪悪感から逃れる手段としてのSEXも、僕ら2人には無い。

こんな時のSEXはそれは、とてつもない快楽を感じられます。
何故ならば、SEXをすることで、相手から必要と感じられて、承認欲求が満たされるから。

傍目からすれば、道徳違反だし、法を犯している酷い奴だと思う。

それでも、人間は、自分の生きる意味が欲しくて、

誰かに、生きても良いよと承認してほしいのだろう。

本当は、自分で自分をちゃんと認めてあげれば良いだけなのに…。

これが、永遠にループする。

そう、これが罪悪感という固い鎖で繋ぎあった共依存という形。

罪悪感を感じ、自分を責める。
そして、自分を責めきれなくなり
相手を責めて。
相手を責めた自分に、また自己嫌悪し
罪悪感を感じる。

今では、この仕組みを理解できるますが、
当時の僕には、このループをどうやって止めたらいいのか、わかりませんでした。

ただ、ただ、罪悪感という底無しの沼にどっぷりと浸かって、

逃げ場の罪悪感を感じながら不安を抱えながら生きていました。

長くなりましたが、今回はここまでです。
それでは。

※※

離婚の裁判の闇~人間のエゴの世界~Vol16

離婚調停が不調に終わり
離婚するには、離婚裁判に進むしか手段は有りませんでした。

離婚調停というのは、調停委員という人を交えて、話し合う場という意味があります。

その中で、自分は何処かで期待をしていました。

それは
「第3者が入ることで、元嫁の法外な
慰謝料や条件などを説得してくれる」
そんなことを思っていました。

しかしながら、実態はどうだったか?

半年間の5回に渡る離婚調停は、
全く意味を持たず、元嫁は調停委員の
説得には応じませんでした。

こうなると、不思議なもので、調停委員達は弁護士をつけた私達を説得しようとしてきます。

※調停委員は、説得しやすい方を、説得してきます。

納得出来ないならば、承諾しないことが本当に離婚調停では必要です。

とにかく、調停委員さんは調停成立をさせようと、必死になってきますので、
嫌なことは「嫌」という意思は必要です。

最後の離婚調停では、法外な慰謝料に対して

「一括が無理ならば分割で支払えませんか?」とお願いされました。

話を戻します。

法外な慰謝料の支払いを断ると、弁護士が調停委員に対して告げます。

「財産分与を超えた慰謝料を支払うつもりは有りません。相手方の譲歩もないのなら判決をもらいますので」

こう告げると、残念そうな顔をしながら
「後、もう一度、話し合う機会を…。」
とにかく調停を続けさせようとします。

しかしながら、弁護士との打ち合わせで今回で譲歩がないならば、不調で終わらせると決めていました。

「もう、5回目ですし、相手方の具体的な譲歩もないのでは、これ以上の継続は無意味と考えますので。」

この発言を聞いて、調停委員の2人はとても残念そうで、バツが悪そうに「わかりました」と告げ、

担当裁判官を呼び、不調の手続きに移りました。

実際、初めからこの調停委員さんとは相性の悪さを感じており、

元嫁の肩を持っているなーと感じていましたので不調にして良かったです。

私は2回、離婚調停をしましたが調停委員さんの当たりハズレはあります。

全ての調停委員さんが、ハズレではないと思います。

それでも、調停委員さんに対しては自分の意思をしっかりと伝えることが、本当に大切です。

※※

離婚裁判になると相手側にも弁護士が付くので、弁護士同士が文章で裁判を進めるので、

暫くはその報告を聞くだけになります。

裁判は、月に1回の期日で進み、期日主張として文章の提出があります。

元嫁側からも、裁判所に対して文章の提出がありましたが、

毎回、毎回、嘘やでっち上げの記載がありました。

初めのうちは、驚きとショックから人間不審になります。

どうしてか?

仮にも10年も結婚生活を共にした相手から、嘘やでっち上げをされるって…。

しかも、娘もいるのにと思うと、まぁ、普通にショックでした。

そして、元嫁の家族までもが嘘やでっち上げを行います。

「陳述書」という物があります。

これは、裁判官宛に、この人はこういう人なんですよ、という書類です。

そこにも、元嫁側の両親から私の日常生活がどれだけ酷かったが、書いてありました。

そして、書類の最後には裁判官に対して、こう書いてありました。

簡単に言うと「コイツは酷い奴だから、慰謝料は多目でお願いします」と・・。

この文章自体は、嘘やでっち上げで被害者目線で書いているので、
内容は気にしないのですが、この文章を書いていることへの不信感が本当に苦しく感じました。

お人好しって言われるかも知れません。

でも、離婚裁判ではこの程度は、当たり前なんです。

嘘や虚偽、でっち上げなんでもOKな世界です。

裁判では、証拠しか採用されないので、言うだけならばなんでもいいんです。

相手に対して、勝たないと意味がないのが裁判ですから、少しでも相手の印象を悪くしようとする作戦なんですね。

だから、裁判では情や情けは本当に不必要なんです。

言い換えるならば、本気の覚悟を試されていると。

それぐらいの気持ちが無いと、離婚裁判は闘えないんです。

本当に。

1番身近だった他人と、罵り合い自分の有益だけを勝ち取る為に相手を蹴落とす。

自分だけが、有益になれば良い。

そんな世界がここには、ありました。

※※

離婚裁判で、何が1番辛いのか?

それは、僕の場合は、自由を感じることが出来ませんでした。

日常生活でも、何処か執行猶予中の犯罪者のように、

胸を張って歩くことに抵抗感を感じます。

離婚裁判まで進む人というのは、離婚調停をした人の100人に1人と言われています。

今でこそ、離婚裁判まで経験したことは
カウンセラーとして、美味しいと思えますが
当時は自分だけがどうして
こんな目に合うのか?と思っていました。

人間って、話合いの中で、折り合いをつけたり、譲り合ったりして生きていくもの。

そんな考えが、僕にはありました。

離婚調停でも、離婚裁判でも、どうしてこの考えが受け入れられないのか?
と何度も考えました。

でも、このような考えが元嫁も出来たなら、離婚にはならないはずですよね。

離婚調停や離婚裁判になっているということは、

この価値感は共有できないってこと。

これが、僕には理解することがいつまでも、出来ませんでした。

※※

今回はここまでになります。

離婚裁判の事を書こうと思いましたが、記憶が曖昧なところも多くて、

かなりグダグダになってしまいました。

正直に言えば、まだ、癒やしきれていないのかも知れません。

次回からは、少し時間を進めて、記憶がある所から
書いていこうと思います。

それでは。

※※

心の中に住んでいるもう1人の悪魔の私~幸せへの扉はひらかない~Vol17

離婚裁判が始まって、半年程。

私の生活自体は、特に大きな変化はありません。

地道に仕事に行き、休みの日には趣味のテニスに打ち込む。

そして、彼女とデートをするも裁判中という目に見えない鎖と、

世間の目を気にしながら、犯罪者のように過ごす。

こんな生活を、繰り返していました。

いつも、心の中にあるのは
「裁判さえ終われば幸せになれる」
「そして自由になれる」
この想いでした。

今になって、冷静に考えてみれば、裁判中だろうがなんだろが、

自由を感じることは、出来たはずなんです。

でも、当時の自分は、心のどこかで悪いことをしているという、

感覚があったんだと思います。

離婚裁判中や、離婚調停中は自分が思っている以上に、ストレスがかかるんですね。

何故、俺だけがこんな目にって、いつも思っていましたし、

自分は何も悪くない相手が悪いんだ!!と思っていました。

自分ではどうにも出来ないのに、なんとか自分でコントロールしようとして
エネルギーを消費しているんだと思います。

その結果、自分の見捨てられ不安からやどうにもならないストレスから、

彼女とは何度も喧嘩を繰り返していました。

※※

この頃の私と彼女との関係性は、いつもケンカばかりで、

あまり上手くいっていませんでした。

相変わらず、彼女の元には他の男性からのお誘いや、

コンパの話、そしてお見合いの話も来ていました。

私は、他の男性と自分を比べられたら、自分なんかが選ばれる訳が無いと強く思っていたので、

他の男性と出逢うチャンスを奪うしか、自分の側に彼女は居ないと思っていました。

実際、この頃の彼女は、余りに長引く離婚裁判に我慢できず、婚活を初めることを、私に宣言していました。

こうなると、私は気が気ではありません。

婚活を始めた彼女の出逢いのチャンスを潰すことに、全てのエネルギーを注ぎます。

私は、彼女に対して、いつも監視の目を光らせ、彼女が携帯を触っていれば
「何やってんの?」

彼女がメールをしていれば
「誰とメールしているの?」

着信があれは
「誰からの着信?」と

彼女の行動を逐一、チェックする様にして、彼女が私から逃げないように
コントロールしていました。

それほどに、私は自分というものに自信が無く、目の前に居る彼女さえも
信じることができませんでした。

見捨てられたくなかった。

1人になりたくなかった。

そして
本当はずっと側にいて欲しい・・。

ただ、それだけでした。

※※

何とか彼女の婚活も、上手い具合に阻止することが、出来ていました。

しかしながら、私の見捨てられ不安からの
恐れや、彼女に対して、わざと喧嘩をふっかける行為は、この時点でも続いていました。

母親を探して以降、心理学というものを真剣に学び始め、

月に1度は、癒しのグループセミナーにも参加しているにも関わらず、劇的な変化はありません。

どうしてなんだろ?
何故、やめられないのだろ?
どうすればいいのだろ?

彼女をわざと怒らせて喧嘩になる度に、いつも思います。

解決策は見当たらない。

でも、母親から見捨てられたことで不安や恐れがある。

わかったことは、これだけでした。

※※

季節は12月を迎え、クリスマスも近づき私は彼女とクリスマスディナーに行くことになりました。

クリスマスディナーは、郊外にあるレストランで、オシャレな感じ。

私も、この日だけは喧嘩をせずに、素敵なイブにしたいと思って楽しみにしていました。

そして、いよいよ当日。

彼女が私を迎えに来てくれます。

助手席に乗り込むと、軽くドレスアップした彼女が運転手にいました。

ドレスアップをした彼女をみて、今日のディナーを楽しみにしてくれていたことがわかり、

嬉しく思います。

車の中では、2人ともいつもよりテンションが高めなので、会話も盛り上がります。

いつもの、不安や喧嘩が嘘のようです。

レストランに着き、会場に入るとそこには、沢山のカップルがテーブルに着いて、

ディナーの始まりを待っています。

私と彼女もテーブルに着き、暫く待っていると、ピアノの生演奏が始まり、
ディナーがスタートします。

前菜、スープ、パン、魚料理、メイン
と進んで行きます。

美味しいディナーとオシャレな雰囲気。
それを盛り上げる生演奏のピアノとバイオリン。

クリスマスディナーにふさわしい時間です。

料理は進んで、いよいよ最後のデーザートに。

本当に、ここまでは、会場の雰囲気のおかげもあり、

どこにでもいる普通のカップルのクリスマスイブです。

しかし、この幸せな時間から、まさか
地獄に堕ちるとは・・・。

※※

クリスマスディナーの帰り道、私と彼女は料理やレストランの話をしながら帰宅していました。

その時、私はふとした瞬間、以前に嫌がる彼女と連絡先を交換させた、
男性の話題を振ったんです。

でも、本当は、言葉に出す前に思いました。

この話になれば、このいい雰囲気を壊してしまうことになるって。

だから、やめよう。
絶対に言うべきではないと。

でも、何故か止まらないんです。

止められなかったんです。

自分の意思の力では、止めることができなかったんです。

そして、言葉に出てしまったんです・・。

 

そこから、風向きが変わります。

ヤタ「そう言えば、〇〇君とはどうなったの?」

この時、別に何もないよという、返事を期待していました。

彼女「〇〇君⁇まぁ、メールくるよ」

この瞬間、私の中の何かのスイッチがONになります。

ヤタ「え…。どういうこと?メールしてるの?」

彼女「そりゃ、メール来たら返すでしょ」

ヤタ「何でよ!連絡取り合ってるの?」

彼女「まぁ。」

もう、こうなると、いつものように何者かに、
自分の心は支配されてしまいます。

ヤタ「なんだそれ。連絡取り合うのやめろよ!」

彼女「やだよ。連絡取り合うのは私の勝手じゃん」

ヤタ「おかしいでしょ!なんで他の男と連絡取り合う必要あるのよ」

彼女「だって、私は彼氏居ないことになっているから。」
「貴方はまだ既婚者だから。フリーじゃ無いんだから。」

ヤタ「そうだけど。でも〇〇君に気があるの⁇どうなの?」

彼女「まぁ、無いことは無いけど」

ヤタ「え、じゃあ、どうなの?好きなの?どうなの?」
「告白されたら、付き合うの?」

彼女「考えるかな。」

ヤタ「じゃあ、好きか、嫌いかならどっちなの?」

彼女「そう言われると、好きかな」

ヤタ「じゃあさ、俺は?」

彼女「嫌いでは無いかな。居心地はいい」

ヤタ「はあ?何だそれ!」

彼女「じゃあ、やめれば。私はフリーなんだし」

ヤタ「俺は⁇彼氏じゃないの?」

彼女「彼氏じゃないでしょ。あんたはまだ既婚者だし」

この言葉に、何故かとても怒りを感じこの後に、彼女と口論になってしまいます。

私は、「あんたは既婚者」と何度も言われたことで、何も出来ない惨めさと悔しさを、
彼女にぶつけるしかありませんでした。

クリスマスディナーの帰り道の車の中は、それまでの幸せなムードは吹っ飛び、

幾度となくしてきた、別れ話に発展していきました。

ヤタ「あーあ。せっかくのクリスマスだったのに…。」

この言葉を、呟くと彼女が泣きながら私に言います。

彼女「私の…クリスマスイブ…っ返してよ。」

「せっかく…っのクリスマスイブ…!なのに…。」

「なんで…っいつもこうなるの…っ」
「私…っ。もうかわいそう。」
「あんたなんか…っ最低!!︎返してよ私のクリスマスイブ…!」

ウウッ…。彼女の目から大粒の涙が溢れ
嗚咽が漏れます。

私は、この涙を見ながら、我に戻り
「また…彼女を傷つけてしまった」と
自分のした事に、唖然とし後悔の念と自己嫌悪が押し寄せてきます。

それでも、心の奥底の深い深いところでは、この状況を見て、

どこか安心している自分がいるのを、感じていました。

今回はここまでです。

※※

離婚裁判の終焉と彼女の異変~Vol18

本当に楽しみにしていた、クリスマスのディナーデートを、自作自演で壊してしまった私は、

どうしてこうなったのかと何度も何度も、自問自答をしていました。

彼女の涙に、罪悪感を感じながらも
不思議と安心感を感じる。

自分の心がどこかおかしいのか?
それとも、自分は病気なのか?
何か欠落しているのではないか?

こんな感じで、自分の中の原因探しを
必死にしていましたが、いくらPCで検索しても、

その答えは見つかるはずも有りませんでした。

彼女とは、このような事件があったら普通は、

別れを選択すると思うのですが、何故か私が謝罪すると、

いつの間にか関係が修復されるという事を、繰り返していました。

当時、彼女に聞いた事があります。

私「何故、いつも許してくれるの?それはそれでありがたいとは思うんだけど、不思議で…」

彼女「なんか時間が経つと忘れちゃうから」

私は、この言葉を真に受けて、彼女は忘れっぽい人なんだと思っていました。

しかし、真実は違っていたのです。

この真実に気がつくのは、随分と先になりますが、この時の私は、気がつくことが出来ませんでした。

※※

一方で、彼女とのクリスマス前に、離婚裁判は最後の山場を越え

弁護士さんより「最終の弁論が終わりまして、2か月後に判決がでます。2月の〇〇日が判決日となります」と、言われていました。

最初の離婚調停から約2年が経過して、ようやくここまで辿り着いたのです。

ここまでの日は、言葉では決して表すことが出来ません。

犯罪者のように、世間の目から隠れて過ごした日々。

大好きだった娘との別れ。

精神的に追い詰められて、何度も電車に飛び込もうしたこと。

一切の欲を断ち切って、彼女と過ごした日々。

資金難から、自転車操業で凌ぎ、暖房器具も買えずに、部屋でダウンジャケットを着て凌いだ冬の日。

過ぎてしまえばあっと言う前の2年ですが、その道乗りは本当に厳しい戦いでもありました。

その戦いが、ようやく終戦を迎えるのです。

私は、裁判の判決日を彼女に告げ、判決後に2人で温泉に泊まりで行く予定を組んでいました。

とうとう、待ち望んでいた、この日がくる。
やっと、大好きで今まで自分を支えてくれた彼女に対して、胸を張ってちゃんと恩返しができる。

本当に2人で幸せになれる日が来る。

そんな事を考えていました。

判決までの2か月間は、今までの裁判中の期間の中で、1番長い期間に感じました。

そして、とうとう、その日が来ます。

昼過ぎに、弁護士さんから連絡が入ります。

弁護士「あっ、もしもし、判決が出ました。完結に言うと内容は、離婚を認める。

親権は相手方、慰謝料は、〇〇円。財産分与は、こちらのほぼ主張通り。まぁ、良い判決だと思います。詳しくはまた明日、事務所で…」

電話を切って後、何故だか分かりませんが、あまり喜びや悲しみといった感情はなく、ただ淡々と終わったんだ…

と言う感じで実感はありませんでした。

翌日、弁護士事務所にて判決文を受け取り、その判決文を持って、地元の役所に行き離婚届けを提出します。

離婚裁判の判決が出ても、離婚届けは提出しないといけません。

ただ判決文があると、相手方の署名とは必要なく、その場で離婚届けが受理されます。

役所で、判決文と共に離婚届けを提出したのですが、役所の方が取り扱いがわからないとのでかなり待たされます。

でも、それは仕方ないことなんです。

離婚裁判で判決離婚になるのは、100組みの中で、たった1組と言われるぐらいですから。

いかに、私達の元夫婦がレアケースなのかが、理解して貰えると思います。

そして、待つこと20分。

離婚届けは、無事に受理されました。

※※

離婚届けを提出し、役所を出てから彼女と電話をします。

私「ようやくさ、離婚したから…。」
彼女「長かったね」
私「うん。今まで待っていてくれて、本当にありがとう。これから、よろしくお願いします」
彼女「こちらこそ、お願いします」
※確か、こんなような会話だったと思います。

ようやく、独身同士の普通カップルとしてスタートしたのです。

彼女とフラットな関係になっても、今まで我慢していた、身体の関係は直ぐには再開することはしませんでした。

私の中では2人で温泉に行く時に、全てを解禁しようと決めていたのです。

彼女にこの事を話すと「ふーん。別にいつでもいいけど…」みたいな感じで、

気にも留めていない感じでした。

そして、当日を迎えます。

その日は、朝から飛行機に乗って九州まで行き、そこからレンタカーで温泉に行くという旅程でした。

空港でも機内でも、レンタカーの中でも、不思議と私の中に住んでいる悪魔は何もしません。

いつもならば、喧嘩をふっかけて、デートをぶち壊すタイミングでも、悪魔は出てこず、むしろ穏やかに過ごせます。

本当に自分でも不思議でした。

どこから見ても、普通のカップルの2人。

世間の目からも、逃げる事も隠れることもなく、堂々と手を繋いで歩く。

こんな単純で当たり前の事が、私達にはこのうえない幸せでもあり、こんな些細なことでも幸せを感じていました。

温泉宿に着くまで、悪魔は現れず、むしろラブラブな感じで到着します。

部屋に案内されて、2人きりになると、私も中でずっと抑え込んでいた欲求が湧き上がります。

そうです。

この欲求は1年半前以上、ずっと自分の中で抑え込み、自分の中で無かったもの、あっても気がつかないようにしていたものです。

私は、その欲求に身を委ねて思考を切り離し、彼女を求めます。

不倫の関係だった時の、SEXの感触が蘇えります。

お互いの欲と欲をぶつけ合い、求め合うSEXは快楽の枠を越えて、生命力やお互いの承認欲求を埋め合うほどの気持ちよさと、

充実感や満足感を感じられます。そのSEXを、彼女と共に味わいたいという欲求が、どんどん強くなっていきます。

その時!!

彼女「ごめん。何か気分が入りこめなくて」

一気に現実に引き戻されます。

私「えっ!あっ、うん。じゃあやめた方がいいかな」
彼女「いや、大丈夫だから、直ぐ挿れて終わって」
私「わかったよ。久しぶりだったからかな」
彼女「わからない。でも、何かダメみたい」

こんなやり取りの後、まるで処理をするような感覚と共に彼女を抱いたのでした。

今思えば、久しぶりだったからとかの、問題ではないのです。

ことの重大さに気がつくべきだったんです。

彼女の変化をもっと、気にするべきだっだのです。

この出来事が、後から大きな意味があった出来事に変わります。

離婚が成立し、彼女と一緒になれると浮かれていた私には、何も気がつくことが出来ませんでした。

今回はここまでになります。

※※

ターニングポイントの夜~引き寄せ合う不毛な関係~Vol19

彼女が僕を受け入れることが出来なくなっていても、2人の関係性は続いていました。

離婚係争中は、身体の関係は持たずに1年半程過ごしたので、

彼女とのSEXが充実していなくても、特に問題意識は無く過ごしていました。

彼女自身も自分の身体が、何故、僕を受け入れることが出来ないのかがわからず、

お互いに放置するしかありません。

僕も、この問題をどうして良いのか分からないままでしたが、

それでも、彼女に対して性欲はあるので試みようとします。

でも、どうしても、上手くいかないのです。

彼女自身が感じることが出来ないと、男性の僕も感じることが出来ませんから、

いつしか毎回のSEXが、処理のような感覚を感じ始めていました。

こうなると、彼女が感じない原因は「僕にあるのではないか?」「僕のテクニックがないからだ」と思うようになり、

自分が全て悪いんだ!!︎と、自分を責めていました。

それと同時に、自分は男性としてどうなんだろう…と自分への不信感と、

自分は必要とされていないという気持ちを感じていました。

当時はSEXの事よりも、離婚裁判が終わり、ちゃんと付き合える状況になったことの方が、

優先順位が高かかったので、ようやく訪れた平穏な時間を味わいたいと思っていました。

今思うと、この状況って普通に付き合っていたら、あまりないケースというか、おかしいな状況だったと思います。

でも、当時は本当に気がつかなかったんです。

それよりも、お互いに1人になることが、怖かったんだと思います。

2人を繋いでいたのは、愛ではなくて恐れでした。

※※

普通の関係性ではあり得ない状況を、1年ほど続けていました。

私も最初は、彼女の体調や気持ちもあるだろうと思って、状況を見ながら求めていましたが、彼女の身体は一向に反応しませんでした。

そのうち、そんな状況でも求める自分が、どこか惨めに感じたり、ガッカリしたくない気持ちから、

彼女を求める頻度は、どんどん少なくなっていきました。

自分は男として必要とされていない。

こんな感覚をずっと持っていると、不思議と必要としてくれる人が現れるのです。

その女性は、私の会社に来た女性の営業さん。

童顔で素直そうなショートカットの女性でした。

彼女は本当は、違う部署に営業に行く予定が、私の部署に間違えて営業に来ていたという、

本当にミラクルのような出逢いでした。

ご縁というか、引き寄せ合うとは、正にこのような事だと思います。

営業の彼女とは、初めはあまり興味もなく、会話もしませんでした。
彼女も仕事で来ているので、自己紹介がてらに少し会話をした程度でした。

その自己紹介で、彼女は実はサッカー選手で昔、アンダー16か15の日本代表選手だったことを知りました。

私の会社ではサッカー部があり、同僚の誰かが彼女を職場のサッカーに誘い、

参加することになるのですが、この誰かが誘った事から私と彼女の距離が縮まっていきました。

私は当時はガチのテニスプレーヤーでしたが、付き合いとトレーニングを兼ねて、サッカー部に籍を置いていました。

営業の彼女が、サッカー部の練習に来るということで、その日は珍しく、参加の人数が多くて賑やかな雰囲気でした。

営業の彼女は、流石の元日本代表だけあって、かなりテクニックもあり、そこそこの男性ではかないません。

コートの中で、躍動する彼女を見ていると、目を奪われている自分に気がつきます。

自分の中で、何かが動く音が聞こえます。

以前の私ならば、この何かに飲み込まれてしまい、気がつくことは無かったと思います。

でも当時は、自分自身と向き合いながら、癒しのセミナーにも参加していた事もあって、何が動く音に気がついたのです。

しかしながら、自分では制御できない自分が現れて、トントン拍子に距離が縮まります。

連絡先も、プライベートの番号を交換し、サッカーの練習の帰り道を送ってもらったり、

2人でお茶をしたりと、気がつくともう寸前の所までに縮まっていました。

しかし、彼女には秘密があったのです。

それは、夫がいるという事。

既婚者だっだのです。

既婚者となれば、話は全く別になってきます。
つい最近まで、離婚で争っていたのですから、当然ながらそうなります。

しかし、彼女にはもう一つ、秘密がありました。

それは、離婚間近で別居中でした。

私は、彼女には離婚経験が有る事を話していましたので、彼女には困ったら相談に乗るからと伝えていました。

そんな複雑な状況でも、心が引き合う時は引き合うのです。

ヤバイ。

引き返すならば、ここしかない。

これ以上は、引き返せなくなる。

私は、そんな思いを感じていました。

そして、ターニングポイントがやって来ます。

その日も、彼女はサッカー部の練習に参加していました。

練習の前から、悩んでいる事があるんですと、打ち明けられていました。
多分、離婚や別居の事だろうと思いました。

彼女「椙山さん、私…今から東京で研修なんですけど、夜って時間あります?」

ヤタ「特に予定はないけど…」

彼女「だったら、今日の夜に電話出来ますか?」

ヤタ「まぁ、いいけど。でも夜も接待とかでしょ?電話できるの?」

彼女「接待があっても、9時にはホテルに戻れますから。私から連絡してもいいんですけど、

椙山さんからかけて貰えると助かります。必ず掛け直しますから」

ヤタ「あっ、そうなの。でも忙しいそうだから違う日でも良くない?」

彼女「大丈夫です。必ず掛け直しますから。椙山さん待ってますね!約束ですよ」

そう言い残して、練習場から出て行きました。

※※

私は、彼女の後ろ姿を見ながら、悩んでいました。

自宅に帰った後も、夕食の準備もそこそこに、椅子に腰掛けながらずっと考えます。

多分、今日、彼女に連絡をすれば間違いなく始まってしまう。

でも、彼女はまだ既婚者だ。
離婚していない以上、ここで間違いが有れば、私は浮気相手になって、彼女との離婚問題に巻き込まれてしまう。

それだけは、避けなければいけない。

ようやく離婚が成立したのに、またあの苦しみに関わるのはごめんだ。

そして、何よりも、離婚を待っていてくれた彼女に対して、それはあまりにもひどい裏切りだ。

このままの関係でいよう。

そのままでいいんだ。

そのままで…

そう思いながらも、頭の片隅で声が聞こえます。

でも、本当に彼女に連絡しなくていいのか?

今の彼女とはSEXは出来ないんだぞ!!このままの関係でいいのか?

彼女と新しくやり直しても、誰も文句は言えないから大丈夫だぞ!!

自分の中の欲にまみれた悪魔の声が聞こえて来ます。

自分の携帯電話を見つめながら、ずっとずっと考えていました。

そして、その日は電話はせずに、そのままやり過ごしました。

これが、私が出した結論でした。

※※

数日後に、サッカー部の練習があった時、彼女の姿が見えました。

私は彼女と合うのが、どこかバツが悪くて、遠回しに距離を取っていましたが、休憩中に話すタイミングが訪れた時

彼女「ちょっと!電話するって約束したでしょう!」

私「まぁ、約束はしては無いけど…。」

彼女「電話待っていたのに」

私「ごめん、こっちも色々あって。じゃあ、また今度する?」

彼女「もういい」

彼女はそう言い残して、コートの中に入って行きました。

この日以降、彼女の態度はあからさまに変わり、以前のようなやり取りもなく、

ただの営業さんとお客様との関係に戻ってしまいました。

彼女とのターニングポイントは、あの夜。

あの夜に、もし私が連絡をしていたならば、関係性はもっと近づき私が不倫相手になっていたでしょう。

これは、確信があります。

その後の彼女は、この一件以降に営業先が変更になり、その後、会社を辞めて離婚したそうです。

もちろん、私に連絡などはありません。

全てはあの夜の為に現れ、そして消えていった、不思議な女性でした。

営業の彼女が去ってから、私と彼女との関係性にも変化が訪れ、

いよいよ結婚を意識し始めるようになります。

そして、結婚に向けての幸せのカウントダウンは、実は破局に向けてのカウントダウンだったとは、

この時はまだ気がつくはずもありませんでした。

長くなりましたので、ここまでにします。

※※

幸せへの扉の向こう側~曇る笑顔と不穏な空気~Vol20

新たなる女性との誘惑に負けず、何とか切り抜けた私は自分自身でも、切り抜けられた事が信じられないくらいでした。

今までの人生では、何度となく、目の前の女性がいつ居なくなっても大丈夫なように、

付き合わないまでも、キープという形で他の女性を準備してきました。

簡単に言えば、保険をかけていたのです。

その保険をかけていなければ、目の前の女性とも付き合う事が出来ないくらい、私には1人の女性と向き合う事は恐怖でしかありませんでした。

今思えば、保険をかけている時点で、私の心の中は、恋愛が上手くいかない前提になっていたのですから、上手くいかなくて当然なのです。

そんな私が、誘惑にも負けなかったのは、

本当に好きだった
彼女を失いたくない
ずっと一緒に居たい

この気持ちだけでした。

彼女と一緒に居たいという気持ちは、本当に思っていましたが、

その気持ちの本心は、もう2度と1人になりたく無い気持ちでした。

この気持ちがあったからこそ、2年程の離婚係争中の身体の関係を一切断ち、

離婚整理後にも関係が上手くいかなくても、我慢できました。

でも、この時は気がつかなかったんです。

私達の関係性って、やっぱり普通じゃなかったんです。

おかしな関係性だったんです。
我慢しないと成り立たない、関係性だったんです。

皆さんは気がついていたかも、知れません。

でも、私がその事に気がつくのは、何年も後でした。

※※

付き合わい初めた当初から、私と彼女は一緒に暮らす事を意識していました。

離婚が成立した後は、その敷居も低くなり、いつしか自然な流れで、私と彼女は同棲を初めていました。

そして、離婚が成立して、同棲もしていると、どうしても結婚を意識してしまいます。

彼女の「結婚したい」という気持ちは、前から知っていましたが、

私は前回の離婚が壮絶だった事もあり、気がつかないふりをしていました。

それも、離婚後1年程は誤魔化せましたが、同棲までしてしまうと、もう気がつかないふりは出来ません。

それでも、彼女のことが好きだった気持ちや、1人になりたくない気持ち、彼女との居心地の良さなどが後押しをし、

娘には申し訳ない気持ちがありながらも、再婚への道に進んで行きました。

お互いに結婚を意識し始めたので、まずはお互いの両親に逢うことになりました。

私は、自分自身の離婚裁判や離婚の経緯については、やれる事は全てやったという事もあり、

離婚自体には後ろめたさは有りません。

それでも、彼女の両親に私という人間が受け入れてもらえるのか?というのは、心配でした。

そんな心配は、それほど必要ではなく、その場は滞りなく終わりました。

そして、季節は夏を迎えて大きく動いて行きます。

※※

当時の私は自分の癒しを進めたいのと、心理学に興味があったので、カウンセラー養成コースを受講していました。

養成コースでは、並行して自分の癒しを進めるべく、毎月のヒーリングセミナーに一定の回数を参加しないといけません。

そのヒーリングセミナーに参加するアシスタントの中で、

毎回、アシスタントのリーダーを決めるのですが、そのリーダーが今回は、私でした。

アシスタントのリーダーとして、セミナー中にアナウンスをしたり、

セミナーのテーマを決めたりと、リーダーの役割をこなしていました。

ヒーリングセミナーは、2日間行われ、2日目の夕方に終わりを迎えます。
今回のセミナーの参加者は60~70名ほどだったと思います。

私は、2日間のリーダー役を何とかこなし、最後の挨拶をして終わりを迎えるだけでした。

「ふーぅ。ようやく終わりか…」と思った瞬間!!︎

セミナーの講師の方が
「椙山君、何か彼女に言いたいことがあるんじゃない⁇」と言われたのです。

思い当たるフシはありました。

何か周りの仲間達から
「彼女にプロポーズしたの?」
「彼女にプロポーズするって本当?」
「とうとう言うのかー」
と、何故かそのような話になっていました。

講師のその言葉から、全てを察した私は
「そっか、そういう事か。でも、もう逃げれないよな」と覚悟を決めたのです。

「椙山君と彼女は、こちらにいらっしゃい」

そう言われて、彼女と私は離れて立ち、見つめ合います。

※ちなみに、この時に彼女は私がアシスタントリーダーをするということで、特別にセミナーに参加してくれていました。

そして、彼女の目を見ながら、一歩、一歩、また一歩と近づいて行きます。

一歩近づいて行くたびに、私の心の中の感情が様々に動き始めます。

「悲しい気持ち」

「受け入れてもらえなかったらどうしよう?という恐れ」

「娘だけおいて1人だけ幸せになることへの罪悪感」

「自分が心を開いてまた傷つくのは嫌だという気持ち」

色々な感情が出て、涙が流れます。

その感情を感じながら、彼女の前まで辿り着きます。

会場もシーンと静まりかえり、ピーンとした空気感が流れます。

私は流れでる涙を拭き、彼女の目を見つめて、私は彼女に告げます。

「僕と一緒に幸せになって下さい」

彼女は「はい。お願いします」

その瞬間

講師が大きな声で、僕らに告げます。

「椙山君、結婚おめでとう!」

そして、会場にいた全ての人達から祝福の声が届きます。

「おめでとう!」
「頑張ったねー」
「お幸せにー」
「良くやったぞ!」
「いいぞ!」

私に流れていた涙は嬉し涙に変わり、会場には割れんばかりの拍手が、

いつまでも、いつまでも鳴り響いていました。

私は満面の笑みで、彼女の顔を見た時…。

一瞬、どこか浮かない顔をした彼女の顔を見逃しませんでした。

この時の彼女の表情が、何を意味するのかわかる日はさほど遠くは、ありませんでした。

今回はここまでになります。

※※

幸せへの流れには乗れない2人~決まらない結婚式場~Vol21

 

セミナーエンディングでのプロポーズは最高の盛り上がりを見せて、ハッピーエンディングの中、

浮かない顔をしていた彼女は、すぐに笑顔を見せていました。

セミナーが終わり、私と彼女は結婚に向けて具体的な行動に移ります。

まず1番初めに手をつけたのは、式場探しでした。

彼女はゼクシィを買い、好きな式場を数軒ピックアップして、その式場のフェアや下見会に参加します。

彼女が最初に選んだ式場は、ガーデンの緑が鮮やかでロケーションがバッチリの、

住宅街のレストランウェディングでした。

併設したチャペルの中もそれは素晴らしくて、彼女は「ここがいいねー」と上機嫌で笑顔に溢れています。

一通り会場を案内してもらい、商談に入ります。

まずは金額の話になり、流石のロケーションからして、安くはないだろうと思っていたところ、

見積書に書かれた金額は、予想通りかなりの予算オーバーでした。

それでも、彼女からしたらこの会場がとても気に入ったらしく、金額よりも会場に空きが有るか?に興味が移ります。

結婚式を挙げたことがある人は分かると思うのですが、結婚式場探しは早くて1年前からスタートします。

遅くても半年くらいな感じです。

私達はプロポーズが急だった事もあり、4ヵ月後に結婚式を挙げようと急に準備している分、

会場のスケジュールもやはり空きがありません。

2人の第1希望日、第2希望日共に空きがなく、あんなに笑顔だった彼女の顔も曇っていきます。

それでも、第3希望に空きが見つかります。

曇りがちだった彼女の顔に、少し笑顔が見えます。

そして、会場のスタッフからこのような提案を受けます。

スタッフ「本日中の誓約でしたら、お見積もりから10万円をお値引きさせて頂きますよ」

嬉しいご提案だったのですが、僕ら2人には心理学でお世話になった方を呼ぶ為に、スケジュールを確認しないと返事が出来ません。

その中でも、2人が当時からお世話になっていた根本さんは、1年先までスケジュールが埋まっている超売れっ子カウンセラーです。

根本さんには、必ず出席してもらわなければと、その場でメールにて、連絡を取ります。

スタッフさんには「嬉しい提案なんですが、必ず式に出席して頂きたい方と、まだスケジュール確認が取れないのですが…」と伝えると、

スタッフ「では、本来ならその場での誓約が条件なんですが、営業時間中にご返事をもらえるならいいですよ」と
期限を伸ばしてもらいます。

そのまま会場のスタッフさんとは、仮スケジュールにて話を進めながら連絡を待ちますが、

メールの返信は来ず、そのまま帰宅します。

帰りの車内でも
私ヤタ「根本さん、面談中かな?忙しいんだね。」

彼女「そうみたいね。でも、どうしよう?お値引きないとかなり金額苦しいよね?」

私ヤタ「確かに。まぁ、期限過ぎてもお値引きをお願いしてみるしかないね」

しかしながら、この日に返信はなく、リミットの営業時間は終了してしまいます。

そして翌日に、根本さんから返信をもらい、会場に掛け合ったのですが、結果はお値段は高いままに。

この報告を彼女にすると、流石に残念そうでしたが次の式場も見てみようとなりました。

※※

次の式場も、同じようなガーデンスタイルレストランでした。

しかしながら、やはり最初に見たレストランと比べてしまうと、残念ながら見劣りしてしまいます。

スタッフさんや、お店の雰囲気、料金など条件は良いのですが、何か物足りなさを感じます。

この後も、他の会場を視察しましたが、結局、同じような感じになってしまい、契約には至りません。

それでも、不思議と2つの会場は、自分達の希望日に空きがあるのです。

時間だけが過ぎていき、何も決められない状況は変わりません。

私ヤタ「ねぇ、どうするの?」
彼女「1番初めが良かったけど…。うーん、どうしよう?」
私ヤタ「でも、何処に決めないと」
彼女「もう、わからない。どうする決めてよ」
私ヤタ「でもさ、どうしたらいいか分からんよ」
彼女「だって、最初が…。でも高いしなー。まぁ、決めないとね…。」

こんな感じで、グルグルと回っていました。

そして2つの会場のうち、1週間だけ仮予約として、会場を押さえてくれるとの話を頂いたので、

その中の一つだけ、仮予約をすることにしました。

私ヤタが会場に行って、手続きをして電話で報告すると

私ヤタ「あのさ、2番目の会場を仮予約したから」
彼女「はぁ?何勝手に決めてんの?」
私ヤタ「わからんから、決めてくれって言ったじゃん。」
彼女「仮予約って何?勝手に決めんじゃねーよ。キャンセルしてきてよ!」
私ヤタ「キャンセルしてくんの?」
彼女「私、嫌だよ。ちゃんとキャンセルしてよ」

こんなやり取りがあり、結局、プロポーズしてから、不思議と結婚に関して何も決まりませんでした。

彼女との結婚に向けての準備は、必死に頑張っても全く流れは変わらず、むしろ、目に見えない大きなものが2人の進む道を、

阻んでいるのではないか?と思うほど、上手く行きませんでした。

上手くいく時はトントン拍子という言葉の通り、僕ら2人の結婚はどこか無理があるものだったことを、

当時は気が付かずにいました。

長くなりましたので、今回はここまでになります。

※※

心の蓋が開いた先にあるものVol22

結婚式場を探すにもことごとく、式場に空きが無くて予定が決まらない。

当時の私は、そこには全く不安や違和感は感じておらず、頭の中は、待ちに待った彼女と一緒になれることでお花畑状態でした。

それでも、式場が決まらないので、結婚式というイベントのことは棚上げ状態にしていました。

プロポーズをした2週間後、今度は福岡で行われるヒーリングセミナーに、彼女と一緒に参加することにしました。

この時は特に問題を抱えていたり、悩んでの参加ではなく、ヒーリングセミナーを担当するのが、

根本さんだったこともあり、報告を兼ねての参加です。

ヒーリングセミナーは2日間の開催されるのですが、今回は有志での日帰り温泉ツアーも開催予定で、そちらも楽しみにしていました。

ヒーリングセミナーが始まり、くじ引きをして、フォーカスパーソンという代表者を決めて、

その方の悩みを講師がカウンセリングしていきます。

純粋にくじ引きなので、本当に誰が当たるのかはわかりません。

そして、くじ引きをした瞬間

「〇〇さん」

と彼女の名前が呼ばれたのです。

彼女が前に呼ばれて、話をしていきます。

その話、結婚式場が決まらないという相談でした。

講師を務めていた、根本さんが話を聴いていき、ロールプレイという癒しの手法を組み立て、彼女はそれを受けていきます。

実はこの出来事が、僕達2人にとっては、ターニングポイントでした。

セミナーはその日で終わり、セミナー参加者と共に打ち上げに行き、楽しい雰囲気で盛り上がります。

このヒーリングセミナーというのは、心の奥底にある無意識にアプローチして癒しの効果を出していきます。

その為、日頃や昔から我慢していた心の奥に閉まってある箱の扉を、開いてしまうこともあります。

それは、本当の自分自身の姿が、隠しきれずに出てしまうことでもあるのです。

※※

セミナーの次の日のバスツアーの時から、彼女の言動に変化があった事を私は見逃しませんでした。

彼女は人前で他人に対して、悪口を言うことはほとんどありません。

しかしながら、バスに乗った瞬間に

「なんだアイツは。気持ち悪いんだよ!!」と私に向けて、ポロッと言ったのです。

その言葉を聞いた瞬間、私は彼女の顔を二度見しました。

そして、席についても「本当アイツはキモい」と何度も言っているのです。

おかしい…。

何がおかしい。

私は、彼女に対して、違和感だけが募っていきました。

それでも、その発言が彼女の何を意味することなのか?までは、わからないままでした。

※※

福岡のセミナーから、名古屋に戻った後も、彼女に対しての違和感は消えません。

名古屋に戻った翌日に、電話をしている時にケンカになります。内容は、詳しくは覚えていないのですが、確か2つあったと思います。

1つ目は、私が彼女に対して色々と連れ回した(旅行や、遊びなど)のが、彼女は本当は我慢して付き合っていたということ。

何故か、私は彼女の意思ではなくて、シブシブお前の為に我慢していたんだよ!と言われた事にショックを受けたんです。

そして、もう1つは、彼女の友達にコンパを開くから、紹介だけして、その後にデートしたいから、一緒に来て欲しいというものでした。

私は、頑なに拒否をして「俺は行かないから」と言って、電話を切って、私にしては珍しく1週間ほど連絡をしませんでした。

あんなに彼女が逃げないようにと束縛していたのに、何故かあの時だけは、連絡を取りたく無いと思ったのです。

今、思うと変化があったのは、彼女だけではなく、実は私にも変化はあったのでした。

そして、メールも電話もせずに1週間が経過します。

1週間後、久々に彼女と電話をすることに。

私ヤタ「もしもし、久しぶり」

彼女「うん。あのさ、なんで連絡して来ないのよ」

私ヤタ「いや、何となく。って言うか、なんで自分からしないといけない訳?」

彼女「いつもしてくるじゃん」

私ヤタ「まぁ、そうだけど。結局、コンパの紹介行ったの」

彼女「うん。行ったよ。来てくれないから、淋しかった」

私ヤタ「ふーん」

彼女「あのさ、貴方が連絡して来ない間に、違う人から誘われて、お茶したりデートしてきた。」

私ヤタ「はぁ?何それ?誰それ?」

彼女「同じサークルの人。連絡先渡されたから、連絡して、ご飯に行ったよ」

私ヤタ「連絡先、交換したの?」

彼女「うん。したけど。何か悪いの?」

私ヤタ「悪いとかそういう問題じゃねーだろう!」

「で、どうなんだそれ?」と問い詰めると

彼女「ごめん、もう切るわ」

と、電話を切られてしまいました。

そして、2、3日後に彼女から1通のメールが来ます。

そのメールには、こう書いてありました。

 

彼女「私、気になる人がいる」

 

このメールをみて、私は取り乱し、彼女に何とかコンタクトを取ろうとします。

しかし彼女は、電話もメールにも出ずに、返信は有りませんでした。

 

離婚裁判も終わり、プロポーズもして、ようやく彼女と一緒になれると思った矢先の出来事でした。

私は幸せという山の頂上付近から、道を踏み外し、一気に滑落して、地獄に落ちたような気分でした。

今思えば、彼女の気持ちはかなり昔から、私には無かったのだと思います。

開けてはいけない、心の蓋が開いた結果、彼女の本心が見えた気がしました。

「やっぱり俺は見捨てられるんだな・・。」と苦しみの中で、安心感がわくという不思議な感覚を感じていました。

長くなりましたので、今回はここまでです。

※※

貴方ならば待ちますか?待ちませんか?Vol23

彼女からの「気になる人がいる」とのメール以来、彼女に何度もメールを送っても、電話もしても、
一度も返信はありません。

7月にプロポーズをしてから、1か月も経たない間に、状況は目まぐるしく変わっていきます。

何度、連絡をしても返信がない彼女。

私は、彼女が何を考えているのが、さっぱりわかりませんでした。

私の気持ちはずっと苦しいままで、高校生の時から1人になった事がない私は、

1人になるという恐怖感や、彼女が去って行ってしまうという、損失感をずっと感じて苦しんでいました。

「明けない夜が来ることはない」などと、世間や友人からは言われましたが

毎日、毎日、朝が来ても、自分の苦しみは一向に消えません。

それでも、以前の私と決定的に違うのは、私の周りに居てくれた心理学の先輩や仲間達でした。

この当時は、心理学も学び初めて3年程になっており、仲間達や先輩達に話を聞いてもらうことで、

なんとか自分というものを支えていました。

来る日も、来る日も、音信不通の日々。

1日の大半の時間は、ずっと彼女が何をしているのか?と、意識が音信不通の彼女に向いています。

実際には目の前に居ない彼女に対して、頭の中では、他の男と居るような、想像ばかりして苦しんでいました。

そして、悪魔の声が頭の中に響いてきます。

「お前は振られたんだ!」

「また1人ぼっちだな」

「彼女が戻ってくる訳ないだろう」

「お前が幸せになれる訳がないんだ!」

何度、打ち消しても、悪魔の声は消えずに、私の心をズタズタに切り裂いていきました。

※※

私がプロポーズしたセミナーから約1か月が経過し、名古屋でヒーリングセミナーが開催される日がやって来ました。

この時のセミナー担当の講師は、根本さんでした。

根本さんも、私と彼女の話は知っていました。

この時に、名古屋の先輩カウンセラーから「椙山君、一度、根本さんと話してみるといいよ。

彼女とのきっかけになっているのは、福岡でのセミナーだから…」と言われていました。

セミナーの2日前、約1か月ぶりに、彼女からメールの返事が来ました。

そこでは、世間話をしながらも、私は彼女が気になっていた男性と、その後、どうなったのか?が気になって仕方ありません。

私「あのさ、気になってた男性とはどうなの?」

彼女「ご飯食べに行ったり、連絡取ったりしてるよ」

私「それってさ、付き合ってるの?」

彼女「いや。付き合ってはないけど…」

私「じゃあ、俺はどうすればいいのよ?」

彼女「うーん、わかんない。とりあえず待ってて」

私は、この時に何故か、思い付いてしまったんです。

こんな事、絶対に嫌なのに…

私「あのさ、ひょっとして、身体の関係あるの?」

なかなか返信が来ません。

私「どうなの?あるのかないのか、はっきりして欲しい」

それでも返信は来ません。

私は何かあったということが、ますます確信に変わっていきます。

私「どうなの?もう正直に言って欲しい」

すると、彼女から返信が来ます。

恐る恐るメールを開くと、そこにはこう書いてありました。

私「身体の関係あるよ」

この瞬間、私の血の気がハッキリと引いていくのが分かり、心臓を素手でギューと硬く握り潰されたような痛みが、胸に襲って来ました。

傷つく準備はしていましたが、それ以上のパワーとショックで、私は何も考えることが出来ませんでした。

※※

この出来事があって、私はもはや何も考える事が出来ません。

そして、彼女の事を考えると、必ず誰かに抱かれているイメージが浮かんで来て、誰かに抱かれる事を使って、

自分で自分を責めていましたし、とても惨めでした。

いよいよヒーリングセミナー当日になったのですが、私は彼女の事が余りにもショックだったらしく、

過呼吸を起こし倒れてしまい、セミナーを早退します。

翌日も、参加するか迷いましたが、1人で家にいても苦しいだけなのでセミナーに参加しました。

セミナーは何とか無事に終わり、私は、根本さんや他の先輩達と打ち上げに参加させてもらいました。

私は車でセミナーに参加していたのでアルコールは飲めず、テンションは落ち気味で、

打ち上げ会場の外で、1人でタバコを吸っていました。

すると、店の中から根本さんが出てきて

根本さん「おい、俺にも1本くれ」と言って、タバコを吸い始めました。

根本さん「まぁさ、福岡でさクジに彼女が当たったやろ。その時点でまぁ、何かおかしいなって思ったら、

式場が決まらないやろ。そんな事、なかなかないで。」

「でさ、お前どうすんの?」

私「どうするって?」

根本さん「これな、お前さ自分の女をさ、寝取られてんぞ!」

私「そうですね。でも、プロセス的に…」

根本さん「ちゃうちゃう。心理学とかそんなもん、どうでもええねん。お前、男としてどうすんねん?」

私「男してですか…。でも、僕はやっぱり彼女を待ちたいと思います」

根本さん「そっか。それならば、お前は今日からまな板の上の鯉やな」

私「まな板の上の鯉って、なんですか?」

根本さん「お前はもう何も出来ない。ただ彼女が決めるのを待つだけや」

私「待つだけ…ですか」

根本さん「そうや。まな板の上の鯉や。まぁ、自分で決めたんやからなー」

そういうと、店の中に入っていきました。

私はこの時に、まな板の上の鯉の意味が、半信半疑でいました。

ですが、私にとっては、地獄のような苦しみが待っていたのでした。

今回はここまでになります。

近づく別れの足跡とコントロールの手放しVol24

「お前は、何も出来ない。ただ待つだけ」

この言葉を聞いた時、
「まぁ、待つだけか仕方ねーな」と軽い気持ちでいました。

待つだけならば、簡単でしょみたいな感じで。

ただ、私ヤタはこの時に、気がついてませんでした。

「相手の決断が待てる」って、実は相手を信頼していること。

つまりは、自分に価値の認めているからこそ、待てるのです。

どんな結果でも大丈夫(仕方ない)って思えるのは、折れない自信があるからなんですね。

この逆に、相手の決断を待て無かったり、決断を相手に決めさせずに、コントロールしてしまう人は自分には自信が無いのです。

心の根っこに「自分は愛される訳がなく、隙を見せれば離れていくに違いない」という前提から、コントロールしようとします。

私ヤタは、もちろん後者であり、愛される訳なんてない!!︎と強く強く感じていました。

だって、生後1か月で母親に見捨てられる私ですから…。

私ヤタはパートナーをコントロールするしか、ありませんでした。

相手からの、愛情を試して試して試して…。

どうしても、愛というものを、信じれなかった。

愛を信じれば信じる程に、母親の態度が理解できなかった。

どうして?どうして?って。

でも、人間って完璧ではありません。

これは、親になっても同じですし、沢山の色々な事情があるんです。

少しずつですが、母親から離れたことも仕方なかったのかも知れないと、思えてきたのはこの頃でした。

※※

今まで、パートナーをコントロールしてきた私ヤタにとって「待つだけ」というのは、本当に辛い時間でした。

自分に自信が無く、愛されない前提を持っていると、心の中に潜んでいる
悪魔の声が聞こえてきます。

「おい!お前はまた傷つくのか?」

「このままだと、1人ぼっちだぞ!」

「待っても帰ってくる訳がない。]

「お前の女は寝取られたんだ!」

「お前の男としての価値は0だな!」

そして目を閉じれば、彼女が他の男性に抱かれている映像すら、浮かんでくるのです。

「お前には価値は無いんだ!!︎」

「愛なんてものはないんだ!!︎」

そして、彼女が他の男性に抱かれ、喘いでいる映像。

気が狂いそうな、時間が毎日、毎日、ループしてきます。

止めてくれー!

止めてー

もう、見たくない。

どんなに心の中で叫んでも
「お前は誰からも愛されないんだ」この言葉しか聞こえませんでした。

彼女を待っている時間は、今までの人生の中で、1番苦しい時間でした。

でも幸いにも、私ヤタには当時、沢山の心理学の先輩達に可愛がって貰っていました。

「何かあったらメールや連絡して」の言葉。

社交辞令だったかも知れません。

でも、この言葉にすがるしか無く、先輩達にメールや連絡をして話を聞いてもらいました。

今思えば、沢山の方々が私ヤタを支えてくれた事は、愛されるって事だったんです。

そんなことにも、当時の私は気がつく事は、出来ませんでした。

※※

彼女から、衝撃的な浮気の告白を受けて、1ヵ月半が経過したある日

彼女から「話し合いをしたい」とメールが届きます。

話し合い⁇ってなんだろ。

こんな感じに思っていました。

チャンスとは思っていませんでしたが、まだまだ、未練や執着はありました。

この事を根本さんに連絡すると

「とにかく、お前は話してはいけない。彼女の話を聞きなさい。まな板の鯉だから」

こんな返信がありました。

そっか、自分から話してはいけないのか…

ならばと手の平に「とにかく聞け」と書いてから、彼女と逢いました。

今思えば、笑い話ですが、私ヤタなりに必死でした。

※※

彼女と約束の日。

いつもは、ワクワクする時間も、この日は憂鬱と不安や恐れを感じていました。

今日が最後の日になるのではないか?

この恐れとずっと向き合いながら、彼女を待っていました。

彼女の話を聴こう。

コントロールしない。

この2つを、何度も何度も心の中で繰り返していました。

久しぶりに再会した彼女は、以前よりも気のせいか、輝いているように見えます。

私ヤタ「最近、どうなのか?」と話を振って、彼女が話始めます。

彼女「最近、色々と考えていて…」

私ヤタ「うん」

彼女「貴方に色々とされたでしょ。クリスマス台無しにされたり。散々、振り回されたり。」

「貴方の言う通りにいつもしてきた…。でも、貴方がした事、最低だよね。最悪だよね。本当に私が可哀想…」

「可哀想だよ私」

そう言い出すと、涙を流し始めます。

「酷いよね。本当に酷すぎるよ。。」涙を流しながら、彼女は呟きます。

反論したい気持ちが、浮かんできます。

でも、今日は話を聴き、コントロールしないと決めていたので、何度も手の平に書いてある文字を
彼女には見えないように、見つめます。

唇も千切れそうになるくらい、噛みしめながら、惨めさと、悔しさ、責められる気持ちを感じていました。

今まで、彼女の愛情に、胡座をかいていた態度がブーメランとして、帰ってきたのです。

彼女の話を一通り聞いた後、私ヤタは自分が、
この1か月半、どのくらい頑張って、自分と向き合った事を説明します。

しかしながら、彼女には全く響きません。

本当の変化というのは、言葉などは必死無く、雰囲気で察する事ができますから、

自分で説明するというのは、まだまだ変化していないという事なのです。

そして、話は2人の今後に移ります。

私ヤタ「結局、どうするの?」

彼女「うーん、どうしよう。わかんない」

私ヤタ「わかんないって、宙ぶらりんじゃない?」

彼女「だって余り考えてないかも」

「貴方はどうしたいの?」

私ヤタ「自分は君との道があるならば、待っていたいと…」

彼女「貴方は私の人生の道にはいないよ。」

私ヤタ「それって、どういう事⁇」

彼女「うーん、とにかく私の人生にはいないわ。」

私ヤタ「じゃあ、どこにいるの?」

彼女「貴方は、私の人生の道端かな。道の端っこにある電柱とか。あははー」

「道端って、あー可笑しい」

自分で言葉にして、見下した目線で、小馬鹿に笑う彼女。

私は、屈辱感で満載でした。

なんでこんなに、馬鹿にされなきゃいけないんだ!!︎と怒りに震えていました。

でも、今の彼女のポジションは、昔の私ヤタのポジションなのです。

こんな感情を、いつも感じでいたのか…と思ったら、なんとも言えない気持ちでした。

馬鹿にされ、見下されて、余裕で笑われたことが、今

思えば、良かった事に繋がるのかも知れません。

長くなりましたので、今回はここまでです。

いよいよ、このストーリーも次回が最終回になります。

※※

執着と向き合った野良猫男子~最終回~


彼女との再会は、私と彼女の立場を明確に表すものとなりました。

付き合い当初から持っていた、私の主導権は彼女へと移り、私が散々に彼女をコントロールし、鳥籠に入れて好き放題した結果は、

ブーメランとなって返ってきました。

再会時に見せた、彼女の私を見下したような高笑い時の顔。

あの時の顔が頭から離れません。

再会後は何かが変わることもなく、淡々と日常が過ぎ去って行きます。

それでも、私の執着は以前と変わらず、頭の中では沢山の声が聞こえてきます。

「もう諦ろ、お前には無理だ!!」

「お前の元に返ってくる訳ないだろ」

「彼女は、他の男とSEX しているんだぞ」

「今頃は男とSEX で盛り上がっているぞ」

「彼氏と2人で、お前の事をバカにして笑っているぞ」

目の前に居ない彼女の事を使って、自分自身をずっと責めているのです。

もう、居なくなって欲しい…

でも、1人になりたくない。

この気持ち同士が、葛藤をしてずっとずっと苦しんでいました。

この苦しみを何とかして欲しい。

以前の私ならば、彼女に連絡をして、彼女に私の心の隙間を埋めてもらっていたでしょう。

でも、もう彼女には連絡は取れないのです。

なぜなら、根本さんに言われた言葉があるから。

「お前はまな板の上の鯉。もう、何もできない」

この言葉は、本当に苦しいくて、何度も心が折れそうでした。

でも、根本さんの言葉を信じるしかなく

「もう、私には何もできないんだ。彼女が全てを決めるまで、待つしかないんだ」

この言葉を何度も何度も、自分に言い聞かせていました。

※※

再会から、1か月半くらいに経った時に、彼女から話し合いをまたしたいと連絡が入ります。

私は、今回が最後っぽいな・・。

こんなことを、思います。

そうすると、今度は私の心の中に、1人になることへの恐れが出てきます。

「とうとう1人か…」

「1人ってどんな感じなんだろ」

「周りからバカにされるな」

「孤独しかない」

余りにも孤独を恐れるがあまりに、振られても傷つかないように、心が私の意思とは別に、準備を始めていました。

今思えば、私は両親の離婚から、見捨てられ不安があり、その恐れから、相手をコントロールしたり、複数の女性と付き合っていました。

その不安や恐れを、もう一度味わうことは、当時の状況からは、逃げる事は出来ませんでしたが、
一つだけ違う点がありました。

それは、心理学の仲間や先輩がいた事です。

当時の私は、本当に苦しくて、先輩や仲間に鬱陶しいくらいに、メールを送りつけていました。

そのメールにも、丁寧に返信してくれたり、
先輩のカウンセラーからは「何かあったら、私と〇〇カウンセラーが全力で癒すから、大丈夫!!︎」

この言葉に、本当に勇気をもらいました。

何もしなくても愛されるという事を、知ったのはこの時が初めてでした。

※※

そして、いよいよ彼女との再会の日。

再会前に根本さんにメッセージを送ると、こんな返信が返ってきます。

「もう、貴方にはできる事は有りません。まな板の上の鯉なんです。そして、彼女は自分の幸せを自分で選択する権利があります。

彼女の選択を受け入れるだけです。最後まで手放すことを選択して下さい。」

こんな感じのメッセージだったと思います。

彼女から1時間程遅刻すると連絡があり、車の中で待っていましたが心臓の鼓動が止まりません。

深呼吸を何度も、何度もしても、呼吸は乱れたままです。

頭の中では

「彼女と逢うのは最後か…」

「振られるのか…」

「悲しいな…」

こんな感じが、ぐるぐる回っていました。

彼女がお店に到着し、テーブルの椅子に腰掛けた途端に

「メール送るから読んで」とメールを送信されます。

メールの受信箱に、着信のサインがありメールを開きます。

そこには…

「シンゴと一度離れてみたいと思う」

こんな文字が、書かれていました。

この瞬間、彼女との関係が終わりました。

メールを見た後も、引き止める事はしませんでした。

でも、引き止めたい、気持ちは心の中に溢れていました。

手放したくない!!

側にいてほしい!!

以前の私ならば、どんな手を使っても彼女を引き止めていたでしょう。

でもこの時だけは、彼女の選択を受け入れようと思いました。

そしてこれは、後になって気がついたことですが、彼女の事は好きではなくて、引き止めたい気持ちは執着からでした。

これが、人生で初めて相手の意思を尊重し、選択を委ねる事だったと思います。

彼女と店を出て、早々に彼女は車で帰宅していきましたが、私は直ぐには帰宅する気にはなれず、
暫くお店の駐車場でタバコを吸っていました。

タバコを吸いながら、ようやく終わった…という
言葉がポツリと出てきます。

浮気発覚からの3ヶ月の音信不通の期間は、本当に苦しく、こんなにも自分と真剣に向き合ったのは、初めてでした。

その苦しみや恐れ、不安から、ようやく解放され不思議な安堵感を感じながらも、後悔は有りません。

自宅に帰宅後、少し遅い時間になりましたが、根本さんには連絡せねばと思いメッセージをします。

すると、間もなく返信があり

「お疲れ様でした。良く最後まで向き合ったと思います。ゆっくり休んで下さいね」と返信がありました。

このメッセージを読んで、ようやく落ち着くことができ、自分の心の中にある彼女への扉を閉めたのでした。

終わり

※※

野良猫男子の恋愛ストーリーは、ここまでになります。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

最初に書き始めたのが昨年の8月なんで、ほぼ、一年に渡って書いてきました。

途中で、更新頻度が遅くなったこともあり、ダラダラになりましたが、何とか最後まで書ききることができてホッとしております。

そして、8ヶ月後には今の妻と出合い、約一年後には入籍するのですから、人生は本当にわからないですね。

妻と出合い、結婚するまでもまた機会があれば、書いていこうと思います。

本当に最後までありがとうございました。

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