11月25日という日~当たり前の日々にあるもの~
こんばんは、パートナーシップ(恋愛・夫婦)専門カウンセラーの椙山眞伍(ヤタ)です。
今日も夜更けの更新となりましたので、サクッと行きたいと思います。
この記事を書いている時間は11月26日の0:15分。
実は11月25日は、私の別れた娘の誕生日でした。
今となっては娘と連絡を取り合い、お互いの都合で合うこともできるので、嬉しい日という認識ですが
娘と逢えなかった9年間は、11月25日を迎えることが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
だって、
娘をお祝いしたくても、目の前に娘の姿はありませんから。
小学校の低学年だった時に逢ったのが最後なので、思い出してお祝いをしようと思っても
娘の顔が思い出せないのです。
どんな感じだったっけかな・・。
もっと、背が伸びているかな・・。
笑うと俺に似ているんだよな・・。
こんなことを思い出しながら、最後の面会の時間に取った写真をみて、想像するしかありませんでした。
写真の中の娘は、ずっとずっと笑顔のまま。
この笑顔のまま、過ごしてくれたらいいな。
泣いていないかな?
元気でやっているかな?
俺のこと嫌っているよな・・。
こんな感情を毎年、11月25日は思い出せるので、大嫌いな日でした。
※※
離婚するという選択をした事を、後悔したことは一度もありません。
でも、娘と離れたことや、成長を見ることが出来なかったことや娘に負担を掛けたことなど、今でも考えてしまうことはあります。
そして、一番考えることは
「娘といる時間は、当たり前では無かったということ」
この当たり前だと思っていた自分に、今でも怒りを覚えることがあります。
「当たり前なんてこの世に存在しない」って頭では理解している。
けど、私達はどこかしら、この時間がやって来ることに慣れてしまい、いつの間にか忘れてしまう。
「当たり前の時間って、本当に無いですよ」って、今の自分ならば痛い程わかる。
当たり前の反対は「有難い」という言葉。
だから、今の生活にもう一度振り返ってみて下さい。
貴方の周りにある「有難い」を沢山探して欲しいと思います。
辛い思いや、後悔は僕だけ十分ですから・・。
それでは。
おやすみなさい