【野良猫男子のリアル恋愛ストーリー9話】父親として生きますか?私として生きますか?
こんばんは、パートナーシップ(恋愛・夫婦)専門カウンセラーのヤタです。
少し間が空きましたが「野良猫男子のリアル恋愛ストーリー」を書いていこうと思います。
前回の続きはこちらです。
今回は、父親として生きるのか?1人の人間として生きるのか?の葛藤や、父親から娘への愛情についても書いてみました。
それでは、どうぞ。
※※※
とうとう、彼女と別れてしまった次の日の朝。
私は、まだどこかで、自分の目の前にある現実を、受け入れる事ができませんでした。
以前にも、似たような出来事に何度も遭遇しているので、今回も「なんとかなるだろう」と楽観的にいましたが、いつもとは違う雰囲気も察していました。
いつもの日課通りに、彼女にメールを送ります。
しかし、メールの返信は、お昼を過ぎても、夕方になっても、夜になっても、ありません。
この時になってようやく
「あっ。彼女とは終わったんだな…」と別れを実感しました。
本当の意味で、身も心も1人になった私は、当時の借りていた、狭いワンルームの部屋で、自分の置かれている立場や現実を見て、愕然としました。
あんなに、1人になりたくないと、心から願っていたにも関わらず、結果的には1人になってしまい
「どうしてこうなるんだろう⁇」
「1人なりたく無いのに、どうして…」
「1人になってどうすればいいのだろう」
「1人にならないために、どうすればいいのか⁇」
1人で生きることに、かなりの恐怖を感じていた自分は、1人にならない方法を、ネットで検索を何度も何度も、検索しました。
何度、検索をしても、1人にならない為の方法は、見つかることはなく、誰もいない1人の部屋で呆然としていました。
※※※
1人には、なりたくはない。
しかし、あの元嫁ともう一度、一緒に暮らすのも嫌だ!!
この葛藤が、心の中でぐるぐると回っていました。
私は「必ず上手く行く方法があるはず」と思い、必死になって考えます。
来る日も来る日も、考えました。
そうしていると、少しずつですが、ある答えが浮かび上がります。
考えれば、考えるほどに、この方法しか無いように思うようになります。
そして、決断をします。
それは「元嫁ともう一度ちゃんと向き合う」ということ。
以前は、彼女がいたことで、ちゃんと向き合うことから、逃げてしまいましたが、私は生まれつき「逃げる」ということが、1番嫌いだったので、今回は、自分がやれるだけやろう!!と、ベストを尽くしてダメならば仕方ないと、覚悟を決めたのです。
この当時の私は、とにかく修復にベストを尽くしてダメならば仕方ないと、腹を括っていました。
※これを、心理学では「コミットメント」と呼びます。
「コミットメント」は、どんな状況でも、自分のベストを尽くす︎という覚悟の事で、何度も何度も自分が、ベストを尽くす選択をするという意味があります。
話を戻しますね。
私は、元嫁ともう一度だけ向き合い、それで修復できるならば、それでいいし、ダメならば、離婚しようと思っていました。
自分の愛する娘に対して「パパは、ママと仲直りできるように頑張ったけど、無理だったから、別れたんだよ」と、胸を張って言いえる自分でいたかったという、思いもありました。
そして、後悔だけは絶対にしたく有りませんでした。
※※※
久しぶりに、元嫁の携帯に電話をして「そっちの家に戻るから。それで、もう一度だけ頑張ってみようと思う」と告げます。
元嫁は「戻ってきてくれるの?ありがとう」と困惑気味でした。
その電話の向こうで娘に向かって「パパが帰って来るって︎」と伝えると「やったー!!」と、喜びの声を上げる娘の声が聞こえました。
久しぶりの自宅は、なんだか他人の家のような感じがしました。
元嫁と娘は「パパお帰りーー」とテンション高めで喜んでいましたが、私はバツの悪さも有り、高めのテンションにはついて行けずに、言葉も少なく部屋に篭りました。
家族3人が揃っての夕食や、団欒の時間は、以前の状況とは、一変していました。
以前の夕食の時間や団欒の時間は、元嫁の暴言が飛び交い
「お前は、言われた事もできんのか?」
「自分で考えて動け!!︎」
「これで、手伝ったとか思うなよ!!︎」
とディスり続けられていた態度が、お客様扱いに変わり、逆に、違和感というかコビを売る感じ見えて、素直に優しさとは受け取ることは、出来ませんでした。
とにかく、必要以上に気を使っている元嫁に対して、かなりのドン引きと、冷めた目で見ている私がいました。
私は、やれる事は全てやると決めて、自宅に戻ってきたので、修復できるきっかけになりそうなことは、全てチャレンジをしました。
2人の時間を作って、デートにも行きましたし、プールにも行き、家族3人でも、旅行に行きました。
家族の為にでも、夫婦として継続できるならば、それでもいいとさえ、思っていました。
町内の運動会にも、家族で参加しました。
休日は、元嫁か家族の時間にしました。
何とか、何とか、止まった心が動いて欲しい!!︎と思っていました。
もう一度、家族3人で暮らせるように…
もう一度、夫婦に戻れますように…
とにかく、やれる事を全てやりました。
それと比例して、上手くなったのは、作り笑いだけでした。
※※※
この時期になると、自分でも少しずつ気がついてきます。
自宅に居る自分が、頑張っているんです。
自宅で、頑張っているんです。
1番、心休まる場所が、頑張らないと居ることが出来ないのです。
何度も、何度も思いました。
「娘も居るし、これでいいじゃないか」
「自分が我慢すれば、全て収まるんだ」
「自分が辛かった離婚を娘にもさせるのか?」
「我慢しろ!!︎耐えろ!!︎これが幸せだ!!︎」
気持ちの中で、私は何度もムチを入れて、良き父親、良き夫を演じていました。
そして、とうとう、限界の日がやってきました。
その日の事は、今でも鮮明に覚えています。
それは、日曜日のちょうど昼頃でした。
私は、疲れを感じて1人でベッドに寝転んでいました。
その時、ふと気がついてしまうんです。
「俺、笑ってないな。何も感じていないよな」
「俺、生きたいなー。感情を感じたいな…。もう一度、笑いたい。」
「そっか、もう、無理なんだ。無理だったんだ。」
そう。
頑張っていました。
ずっと、頑張っていました。
感情を感じてしまうと、無理している事に気がついてしまうので、感情を感じないように、していました。
でも、もう、無理だったんです。
ずっと前から、無理だったんです。
それに、気がついた時、ベッドで天井を見ながら涙が流れてきました。
号泣というよりは、スーッと流れて出てきます。
そこに、娘が「パパどうしたの⁇」とやってきます。
娘は私の涙を見ていました。
私は「ごめんね。パパ頑張ったんだけど…ごめんね。」と娘を抱きしめて言いました。
当時、娘には詳しい事情はわかるはずも有りません。
だって、離婚なんて所詮は、夫婦の問題ですから。
それでも娘は私に向かって「いいよ。パパちゃん。」と言葉をかけてくれました。
私は娘がもう3人でいることが出来ないことを、知っているのだと感じました。
その言葉を聞いて、私は娘を抱きしめ頭を撫でながら「ごめんね。ごめんね。」と何度も呟き・・。
その度に「いいよ。いいよ。」と言っていました。
私は娘の暖かさや、この温もりを忘れないように、何度も何度も抱きしめ、頭を撫でながら涙を流していました。
娘は私の胸の中でじっとしていました。
私は「父親」として生きることよりも「私」として生きることを、決断したのでした。
今回は、ここまでになります。
今回も最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
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「自分らしく」生きるために~自由への闘いへ~ Vol10