【野良猫男子のリアル恋愛ストーリー12話】少しづつ進むプロセス~師匠との出逢い
こんにちは、パートナーシップ(恋愛・夫婦)専門カウンセラーの椙山眞伍(ヤタ)です。
今日は、久しぶりになりました「野良猫男子のリアル恋愛ストーリー」を書いて行こうと思います。
かなり間が空いてしまいましたので、皆さんも僕も、前回がどこまで進んだのか忘れてしまっていると思います。
ちなみに、前回のブログはこちらから
ここで、この当時の私ヤタの状況を簡単におさらいしておきます。
・時期は2012年の3月頃
・元嫁と修復不可能と判断して、離婚調停中。
・別居時に付き合った彼女とは、約半年後に連絡を取り、離婚をしたら付き合うことに。
・離婚決意後に、心理学と出会い、カウンセリングを受けて、自分と向き合い中
こんな状況になっています。
それでは、当時の事を書いていきますね。
※※※
季節は、春に向かって暖かくなっていくにつれて、私はカウンセリングを通して、自分の心と向き合っていきます。
担当してくれたカウンセラーの勧めもあって、私は個人のカウンセリングだけではなく、グループで行うグループセミナーにも参加していました。
グループセミナーは、2か月に1回のペースで行われ、潜在意識や無意識といった、自分では意識できない領域を、癒していきます。
初めて参加した時は、頭痛が酷く、身体にも負担になっていましたが、参加回数を重ねる事で、頭痛は減り、少しずつセミナーにも慣れてきました。
セミナーやカウンセリングを受けることで、現実が劇的に変化するのでは?と淡い期待をしていましたが、現実は全く変わりません。
そりゃそうですよね。
そんな簡単に現実が変化するならば、みんな悩んだりしないわけで・・。
それほどまでに、自分には何もできないと思っていました。
現実に目を向ければ、離婚調停は全く進展も無く、春先で裁判官の異動を考慮して、期日は2か月先まで無しと、いつもと変わらない日常でした。
その中で、春休みを利用して元嫁と娘は、自宅から実家に引っ越しをし、私は、別居先から自宅に戻りました。
私は、4月から仕事先ぐ異動になり、慣れない職場でストレスを感じながら、研修を受けていた時、研修中の最中に携帯に着信が。
よく見ると、元嫁の実家の番号が表示されています。
私「先輩、ちょっと携帯いいですか?」
先輩「ああ。構わないよ。」
私「もしもし。」
電話「あっ!!︎パパちゃん?」
電話を掛けてきたのは、娘でした。
私「うん。どうしたの元気してる?」
娘「あのさ、ママがパパの話しすると、お前はこの家の子じゃないから出ていけ!って言うし、パパの事は、あのおじさんって呼びなさいって言うし、すぐ怒るから助けて!!︎」
「パパ、やっぱり3人がいい!!︎」
6才だった娘に、助けてと言わせている自分。
子供よりも、自分の事を優先している自分。
子供を犠牲にして、自分の幸せを優先している自分。
本当は「助けに行くからね!」となり振り構わずに娘の元に駆けつけたい衝動が、湧き上がります。
でも、
でも、
私は決めたのです。
娘の純粋な気持ちよりも、自分の人生を選んだのです。
心臓を握り潰すくらい、胸が締め付けられます。
それでも、伝えないといけません。
私「ごめんね。パパは、3人では住めないよ。お爺さんには話しをしておくから。そういう事を言わないように、言っておくからね」
娘はこの言葉を聞いて、小さな小さな声で
「 うん。わかった。」と言いました。
小さな身体で、小さな心で、目の前の現実を受け入れようと、必死に自分に言い聞かせている娘。
その姿を察すると、何もしてあげられない自分に腹が立つのと同時に
こんな自分なんて死ねばいいのに!!︎と、何度も自分を殺しました。
そして、心の中で「ゴメンね、ゴメンね」と何度も謝ることしか出来ませんでした。
※※※
この出来事を、カウンセリングの時にカウンセラーに話すと
カウンセラー「大丈夫よ。ちゃんと貴方が自分と向き合って必死な事や、娘さんを愛している事はね、不思議とちゃんと伝わるものなのよ」
「貴方がそんなに苦しむって事は、それだけ娘さんを愛している証拠でしょ。子供の事を愛していない親はいないのよ。貴方の母親もきっとそうよ」
こんな話しをしてくれました。
カウンセリングが終わった後に、不思議とカウンセラーの「貴方の母親もきっとそうよ」という言葉が引っかかります。
自分がこんなにも娘の事を、愛しているのならば、親っていうのは、子供を愛するみたいだな。
だとしたら、自分もひょっとしたら、生き別れた母親に愛されていたのかも知れない。
自分へ、生き別れた母親の事は、何も知らないし、父親も祖父や祖母なども、無かった存在にしている。
それに、自分は、誰から産まれてきたのか?さえも知らないし、このまま知らずに生きていくのは嫌だしな。
そうなると…
探すしか無いのか…
ともかく、やるだけやるしか無いな。
こんな感じで、生き別れた母親探しが始まります。
生き別れた母親を探すのに、有効な手段は戸籍謄本ということは、知っていました。
それを、どのように活用したらいいのか?がわからなかったので、離婚調停の打ち合わせの時に、弁護士さんに聞いてみます。
私「あのー、この戸籍謄本にある母親を探そうと思うんですが、どうしたらいいですかねー?」
弁護士「あっ、簡単ですよ。とりあえずここの役所に連絡して、辿っていけば、いつか辿りつきますから」
なんか、自分が想像したよりも簡単な感じでした。
この日から、母親探しの日々がスタートしました。
※※※
グループセミナーと個人カウンセリングを受けて、4か月程が過ぎた時に、グループセミナーでも、自分の問題を扱って貰いたいと、思うようになりました。
グループセミナーでは、くじ引きにより、2日間で6〜7人ほどの、個人的な問題を扱うのですが、くじ引きに当たらないと扱ってもらえません。
しかし、大阪で行われている、グループセミナーの初心者向けのセミナーは、挙手制で問題を扱ってもらえると聞きつけ、私は迷わず大阪でのセミナーに参加をします。
大阪でのセミナーの担当は、師匠でもある「根本裕幸さん」でした。
グループセミナーでは、問題に対して、配役を選んで、その配役の方と向き合ったり、近づいたりして、潜在意識や無意識を書き換える「ロールプレイ」という、心理療法を使います。
この2日間のセミナーの内容や、セッションなどは、残念なことに、あまり記憶が、有りません。
薄れる記憶を掘り起すと、私は1日目の最後に、自分の問題を扱って貰いました。
その時のセッションは、もう一度、母親から産まれるという再誕生のセッションでした。
そのセッションが終わった後
根本さん「あっ。君は明日の朝もまたセッションやるからね。これで終わりじゃないから。明日までずっとセッション中だからねー」
と言われて、私は⁇⁇なんだそれ⁇という感じでした。
そして、次の日の朝、セミナーが始まると
根本さん「さっ、じゃあ昨日の続きやるよ」と本当に続きが始まります。
今度は、元嫁を手放すセッションでした。
根本さんがセッション中に言います。
「貴方は、本当に頑張ってきました。でも、無理だったんですよね。じゃあ、横にいる女神様に言ってみて下さい。」
「私には無理でした。彼女を幸せにして下さい」って
私は、なかなか言えませんでした。
言葉にしようと、必死に声に出そうとしても、声にならず、涙だけが溢れます。
自分の不出来
自分の力の無さ
プライド
自分の価値など
自分の中の「負け」を認める事がなかなか出来ません。
それでも、最後の力を振り絞り
私「彼女を幸せにして下さい」と女神様役に、元嫁役の女性を託し、セッションは終了となりました。
セッション後に、根本さんが私に向かって言います。
「貴方は、本当に与えたい人なんですよね。でもね、与える事は、人生をかけてすることでは無いんですね。もし、貴方が、それでも与えたいならば、それは、ビジネスとしてやりなさい。ちゃんと枠を作って、その中でやるようにしないとね」
セッションや、他の内容は覚えていないのですが、この言葉だけは、今でも鮮明に覚えています。
これが、自分の師匠となる根本裕幸さんとの、初めての出逢いでした。
今回は、長くなったので、ここまでにします。
それではまた。
続きはこちらから
求めていた母親のぬくもり~35年の時を越えて~ Vol13
Comment
いつもこのシリーズ楽しみにしています。
東京カウンセリングが時間合うときにお伺いしたいなと思っています。
コメントありがとうございます。
ブログも読んでくださっているという事で、本当に嬉しく励みになります。
私も東京カウンセリングでお逢いできることを、楽しみにしておりますね。
いつも、ブログ読んでくださって、本当にありがとうございます。